研究者の声:オピニオン



2026年3月28日更新

ある製薬企業研究者(生物系)のぼやき

一部の日本の製薬企業の研究所には、今なお「合成化学の部署が主導権を握り、生物系の部署は下請けとしてその薬理評価を担う」という、ある種不可侵の力学が残っている。しかし、この構造はもはや現代の創薬ロジックから遊離した「制度疲労」の産物に見えてならない。

もちろん、化学合成の技術そのものを軽視しているわけではない。日本の創薬を支えてきたのは間違いなく世界屈指の合成力であり、その「具現化する力」には深い敬意を抱いている。

しかし、現場で日々感じるのは、「作った人間が一番偉い」という過去の成功体験が、今の創薬において価値の源泉を見誤らせているのではないか、という静かな違和感だ。

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かつての低分子創薬において、創薬とは確立された標的に対していかに優れた骨格を構築するかという「How(いかに作るか)」の勝負だった。そこでは、難解な化合物を職人技で形にする合成担当者が主役であったことは事実だ。

しかし、現在の創薬で最も困難であり、かつ差別化の鍵となるのは「どの分子を、どのバイオロジーで叩くか」という「What(何を作るか)」の決定、すなわちターゲットバリデーションである。

どれほど高い技術で全合成を成し遂げたところで、標的選択が誤っていれば、臨床試験で待っているのは多額の損失を伴う失敗のみだ。出口を設計する生物系研究者のインサイトは、数千億円規模の投資判断を支える論理的基盤であり、合成はその意思決定を具現化する重要な「手段」へと、その役割を変化させている。

この変化を加速させているのが、モダリティ(創薬手法)の多様化だ。

もはや創薬は、有機合成のみで完結する世界ではない。抗体、核酸、細胞治療、mRNA。これらの先端領域においてプロジェクトを牽引するのは、病態生理をいかに制御するかという生物学的な専門性だ。

低分子が最適解でない局面でも、依然として合成系が中心的な意思決定権を持とうとする姿には、時代の変化との乖離を感じざるを得ない。

さらに、AIの導入が、合成系が誇りとしてきた「構造最適化」のあり方を変えつつある。ベテランの「勘と経験」に頼っていたSAR(構造活性相関)の構築は、今やAIモデルがより迅速かつ客観的に提示するようになった。

構造最適化が効率化される中で、合成系の役割は「高度な思考」から「AIが示した構造をいかに高い精度で回すか」というフェーズへと比重を移している。一方で、AIに学習させるための「質の高い生物学的データ」を生み出すバイオロジーの重要性は、相対的に高まる一方だ。

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生物系の仕事は、もはや合成された化合物を機械的に測定するだけの作業ではない。複雑な細胞系やオルガノイド、シングルセル解析などを駆使して化合物の真の価値を見出すプロセスは、合成よりも遥かに不確実性が高く、高度な試行錯誤を要する。

それにも関わらず、一部製薬企業の研究所内では、依然として合成系がスケジュールの主導権を握り、生物系を「評価の請負人」として扱う風潮が消えない。

「今月、何個の新規化合物を上げたか」という工場のような数合わせのKPIが、質の高い検証を求める生物系のボトルネックとなっている現状は、全くもって合理性を欠いている。粗製濫造された化合物を評価するために、生物系部署の限られたリソースが浪費されている現状に強い危機感を抱いている生物系研究者は少なくないだろう。

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誤解があってはいけないが、私は生物系が合成系の上に立つべきだと言いたいわけではない。合成系の持つ卓越した「具現化の力」は、今も日本の製薬企業の宝だ。ただ、その力は「意思決定」の場に君臨するために使われるのではなく、サイエンスに基づいた最適解を形にするために使われるべきだと思う。

「モノを作った者が主役」という過去の呪縛から脱却し、サイエンスの根拠を提示した者がリーダーシップを取るという、当たり前の実力主義への移行。古いヒエラルキーを内側から整理し、合成と生物が真に対等な専門家として議論できる環境を作ることができれば、日本の創薬は再び世界を率いるようになるのではないか・・・

・・・と、雑談や飲み会のたびに上司が熱弁を振るう。私は毎月きちんとお給料が入ってきて、職が安定していればいいだけなのだが。


著者:ある製薬企業研究者の部下


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