研究のしまいかた〜バイオ系博士が研究を離れるときに



研究のしまいかた〜バイオ系博士が研究を離れるときに

第3回:考える時間と相談する相手

これからのことを考えなければ、と思いながら一週間が過ぎていく。朝から実験があり、昼は打ち合わせ、夜は申請書の締め切りに追われ、家に帰れば家のことが待っている。考える余裕がないこと自体に、じわじわと焦りを感じている人もいるだろう。そして、ようやく考えがまとまりかけても、それを話せる相手が見つからない。

今回は、考える時間の作り方と、相談相手の選び方を扱う。どちらも、迷いを前に進めるための足場になるものである。

◾️まとまった時間は、空くのを待っても来ない
 「次の連休にじっくり考えよう」と思って迎えた連休が、溜まった作業と家の用事で終わってしまう。多くの人が経験することだと思う。まとまった時間は、空くのを待っていても、なかなか来ない。

これからの道を考えるのに、一度に長い時間はいらない。必要なのは、短い時間を決まった曜日と場所に結びつけておくこと、毎回一つの問いだけを扱うこと、そして考えたことを書き残しておくことである。書き残してあれば、30分ずつの時間でも、前回の続きから考え始められる。少しずつ積み重ねたもののほうが、休日にまる一日悩むより、結論に近づきやすい。

◾️30分を、曜日と場所に結びつける
 まず、考える時間を予定表に書き込む。「火曜の昼休み」「日曜の朝、家族が起きてくる前」のように、曜日と時間を決めてしまう。予定に入っていない時間は、急ぎの用事にたいてい押し出される。会議と同じように、自分との約束として扱うのが続けるこつである。

場所も決めておくとよい。研究室の机に座ると、頭は自然に実験の続きを考え始める。図書館の閲覧席、駅前の喫茶店、川沿いのベンチなど、研究とも家事とも離れた場所を一つ選んでおく。その場所に座るだけで気持ちが切り替わるようになれば、30分でも十分に深く考えられる。歩きながら考えて、戻ってから書き留めるのもよい方法である。

◾️一回に一つの問い、一冊のノート
 漠然と「これからどうしよう」と考えると、不安だけがふくらんで時間が終わる。一回の時間では、一つの問いだけを扱う。今週は「研究のどの部分を手放したくないか」、来週は「ひと月にいくらあれば暮らせるか」、その次は「気になる職種を三つ挙げる」というように、問いを小さく区切っておく。第1回で挙げた三つの問いを、そのまま使ってもらってもかまわない。

考えたことは、ノート一冊か、パソコンのファイル一つにまとめて書き残す。日付を入れ、思いついたことを短く書く。結論が出なくてもいいし、前の週と言っていることが違ってもいい。数週間たって読み返すと、自分の考えがどちらに傾いているか、いつも同じところで引っかかっているかが見えてくる。記録を取り、あとから見返して傾向を読む。研究で毎日やってきたことを、自分の将来に向けて使うだけである。

時間を作るには、どこかを少し削る必要もある。今週どうしても必要な実験はどれかを見直す。断ってもよい頼まれごとを、一つだけ断ってみる。夜や週末の作業に、自分の中で上限を決める。研究の手を少しゆるめても、たいていの場合、周りが困るほどのことにはならない。

◾️休暇を、研究のない日々の試しに使う
 数日でも研究から完全に離れてみると、日々の忙しさの中では見えなかったものが見えてくる。日本では、年に10日以上の有給休暇が与えられる人について、そのうち5日を確実に取らせることが雇い主に義務づけられていて、任期付きの研究員もこの条件に当てはまれば対象になる。米国でも、多くの職場に休暇の制度がある。

休暇のあいだに答えを出そうとしなくてよい。研究のない数日を過ごしてみて、自分がほっとしているのか、落ち着かないのかを観察するだけで、大事な材料になる。(実験の様子が気になって研究室に電話をかけたくなったら、それもまた一つの材料である)

◾️相談には三つの種類がある
 一人で考える時間と同じくらい、誰かに話す時間も大切である。頭の中では筋が通っていたはずの考えも、口に出してみると、どこが曖昧なのかがはっきりする。

ただ、研究をやめるかもしれないという話は、誰にでもできるものではない。そこで役に立つのが、相談を三つの種類に分けることである。一つ目は、気持ちを聞いてもらう相談。結論を出すためではなく、迷いや不安を言葉にして外に出すためのもので、研究の事情を知らない友人やきょうだいでも十分に務まる。二つ目は、情報を得る相談。どんな仕事があり、給与はどれくらいで、転職活動はどう進むのか。これは実際にその道を知っている人に聞くのがよい。三つ目は、判断に意見をもらう相談。自分の考えに見落としがないかを確かめてもらうもので、自分の事情をよく知っていて、利害の少ない人が向いている。

相談の中身ごとに相手を分ければ、一人ひとりに話す内容は小さくなる。全部をわかってくれる一人を探さなくていい。

◾️誰に、何を話すか
 一緒に暮らす家族には、迷い始めた早い段階から話しておくほうがよい。暮らしに直接関わる相手なので、決めてから伝えると、相談ではなく報告になってしまう。

先に研究を離れた人は、情報を得る相談の相手として心強い。大学のキャリア支援の窓口でも、博士課程の学生やポスドクの相談を受けているところがあり、米国の大学にはポスドクの進路を支える部署を置いているところが多い。研究者の転職を扱う会社は求人の事情に詳しいが、転職が決まることで仕事になる立場なので、そのことを踏まえて話を聞くとよい。

迷うのは、研究室の責任者、いわゆるPIにいつ話すかである。迷っている段階で相談すれば、思わぬ選択肢を示してもらえることもある。一方で、研究室の人員計画に関わる話なので、話した時点から扱いが変わることもある。進路の相談に慣れていて信頼関係も深い相手なら早めでもよいが、そうでなければ、ある程度方向が見えてからのほうが無難である。いずれにしても、推薦状を頼む可能性がある相手だということは、頭に置いておきたい。

反対に、方向が決まるまでは距離を置いたほうがよい相手もいる。研究室の中で話が広がりやすい人には、しばらく打ち明けないほうがいい。匿名の掲示板や交流サイトの書き込みは、極端な成功談や失敗談が目立ちやすい。読むのはかまわないが、判断は、実際に話を聞ける人の声をもとにしたい。

◾️話を聞かせてもらうときの頼み方
 情報を得る相談の相手は、思っているより近くにいる。研究室の先輩、大学院の同期、学会で知り合った人、知人の知人。研究を離れた人は、自分の経験を話すことに前向きなことが多い。

声をかけるときは、時間と目的をはっきりさせると、相手も引き受けやすい。「研究から今のお仕事に移られた経緯を、30分ほど伺えないでしょうか。オンラインでもかまいません」くらいの短い頼み方で十分である。聞きたいことは前もって三つほどに絞り、終わったらその日のうちにお礼を伝える。それだけで、次にまた相談できる関係が残りやすい。

相談の前には、今の状況と、いちばん聞きたいことを一つだけ紙に書いておく。週に一度書き溜めているノートが、そのまま下書きになる。そして、相手の意見はあくまで材料の一つであって、従わなければならないものではない。親身な人ほど、自分の歩いた道を正解のように語りがちだからである。

◾️心と体の相談を、先に
 眠れない、食欲がない、朝起き上がれないといった状態が続いているなら、進路の相談より先に、心と体の相談をしてほしい。大学や研究機関には、学内の相談室や保健の窓口、職員のための産業医などが置かれていることが多い。どこに行けばいいかわからなければ、まずかかりつけの医師に話してみるのでもいい。

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迷いは、一人で抱えているあいだは形がない。ノートに書けば文字になり、誰かに話せば言葉になる。形を持った迷いは、少しずつ扱えるものに変わっていく。来週の予定表の、どの30分なら空けられるだろうか。

次回は、多くの人の迷いの大部分を占める、お金の不安との付き合い方を考える。


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