AIはバイオ研究者の生き方をどう変えるか
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第4回:書く手間がどうなるか
◾️一回の締切に40件
2025年7月、米国立衛生研究所(NIH)が一通の通知を出しました。1人の研究者が研究代表者として1年間に出せる申請を、6件までに制限するという内容です。理由として挙げられたのは、大量の申請を一度に出す研究者が現れたことでした。AIツールを使って、一回の受付に40件を超える別々の申請書を出した例があったと通知は述べています。あわせて、AIが実質的に作成した申請書は申請者自身の着想とはみなさない、とも定めました。同じ年の9月25日以降の締切から適用されています。
40件すべてが採択された場合に、その研究者が40件の研究をどう進めるつもりだったのかは、通知には書かれていません。
NIHによれば、ほとんどの申請者はもともと年に6件も出していません。数年前であれば、この上限は誰の行動も変えなかったはずです。申請書を1件仕上げるには、予備データを整理し、先行研究を読み、何週間かをかけて文章にする必要がありました。40件を書こうとすれば、研究をする時間が残りません。上限を決めていたのは規則ではなく、書くのにかかる手間でした。
前回の終わりに、読むこと、考えること、書くことは、三つの時計のうちいちばん速いものが支配している領域だと書きました。しかし、その状況をよく観察すると、少し違った事情が見えてきます。文章を作る側は、たしかに月の単位で進む時計に乗っています。ところが、作られた文章を読んで採否を決める側は、審査委員会や編集委員会という、年の単位でしか動かない仕組みの中にいます。この回で見ていくのは、その二つの速さの差が、いま何を起こしているかです。
順番は、研究の流れに沿って、読む、考える、書くとします。そのあとで、第2回で予告した申請書と査読を扱います。
◾️読む
第1回で、研究者がAIを使い始めたころの場面として、存在しない論文を挙げました。参考文献を尋ねると、著者も雑誌も巻号もそろった架空の文献が返ってくる、というものです。
この問題は、道具を選べば、かなりの程度まで解決されています。米国の大学と非営利の研究所のグループは、OpenScholarというシステムを2026年2月にNature誌で発表しました。質問を受けると、オープンアクセスの論文およそ4,500万本の中から関係する箇所を探し、それを根拠に、引用をつけた回答を書きます。計算機科学、物理学、生物医学などの専門家16人が、同じ質問に対する専門家の回答とAIの回答を読み比べたところ、OpenScholarの回答のほうがよいと判定された割合は51%でした。大型の商用モデルと組み合わせた版では70%です。引用の正確さは専門家と同程度でした。比較のために同じ試験を受けた当時の汎用のチャット型モデルは、最近の文献を引用させると、78%から90%の割合で架空の文献を挙げています。
差を生んでいるのは、モデルの賢さより仕組みです。記憶から答えるか、実在する論文を検索してから答えるか。後者の仕組みを持つ道具は、もう珍しくありません。それでも、第1回で見たとおり、研究者がよく使うAIツールの75.9%は汎用のチャット型で、文献探索に特化したものは5.6%でした。できることと、実際に使われているものとのあいだに距離があります。
もっと手間のかかる読み方にも、AIは入り始めています。医学では、ある問いについて世界中の臨床試験を集め、基準に合うものを選び、数値を抜き出して統合する系統的レビューが、治療方針の根拠になっています。1本を仕上げるのに1年以上かかることも多い作業です。2025年6月に公開された査読前の論文は、この工程を大規模言語モデル(文章生成AIの中身にあたる技術。以下LLM)で自動化するotto-SRというシステムを報告しました。論文の選別では、人間2人が独立に行う従来の方法の感度が81.7%だったのに対し、そのシステムでは96.7%。データの抽出の正確さは、人間の79.7%に対して93.1%でした。このシステムでコクランのレビュー12本をやり直したところ、2日で終わり、元の著者が見落としていた試験が見つかって、3本では主な解析の結論の有意性が変わったといいます。査読前の論文で、システムも一般には公開されていないようなので、数字はそのつもりで読んでください。ただ、人間が見落としをするという点は、系統的レビューに関わったことのある人なら否定しないと思います。
ここまでは明るい話です。注意が要るのはその先です。
引用された論文が実在することと、その論文が引用した主張を支えていることは別です。長時間の調査を自動で行う、いわゆるディープリサーチ型のAIを監査した研究では、文中の主張が、そこに示された出典で実際に裏づけられている割合は、システムによって40%から80%でした。出典のリンクは本物でも、開いてみるとそうは書かれていない、という場合が残っています。第1回で紹介した、架空の引用は氷山の一角で、より大きな問題は実在するが内容の合わない引用だという指摘は、道具の側から見ても当たっています。
私の見立てを書きます。論文を探す作業は、すでに任せられる段階に入っています。ある問いについて何が報告されているかを一覧にする作業も、1年のうちに、専門の道具を使えば人間より漏れが少なくなるでしょう。残るのは、どの論文を信じるかの判断です。ウェスタンブロットのバンドがその結論を言えるほど明瞭か。対照は適切か。n数はいくつか。要約はそこを教えてくれません。AIが図を読む力も伸びているので、この線もいずれ動くとは思います。それでも、自分の研究の土台にする数本の論文については、図と方法の欄を自分の目で読む習慣が、これまで以上に効いてきます。読む論文の数は減り、一本あたりの読み方は深くなる、というのが、うまくいった場合の姿です。
うまくいかない場合の姿も想像できます。誰も元の論文を開かないまま、要約が要約を引用していく状態です。どちらに近づくかは、読む側の習慣で決まります。
◾️考える
次は仮説です。
AIが研究の仮説を出すという話は、前回、Co-ScientistとRobinを例に紹介しました。AIが案を出し、人間が実験する、という分業でした。ここでは、その案の質がどの程度なのかを測ろうとした実験を一つ取り上げます。
米国の大学のグループは、自然言語処理の研究者を集めて、人間の専門家が書いた研究案と、LLMが生成した研究案を、どちらが書いたかを伏せて評価させました。結果は、AIの案のほうが新規性が高いというものでした。話題になったのはここまでですが、このグループは続きを行っています。43人の研究者を雇い、人間の案かAIの案かを無作為に割り当てて、実際に研究として実行させたのです。1人あたり100時間以上をかけて実験を行い、4ページの論文にまとめました。それをもう一度評価すると、AIの案は、新規性、面白さ、有効性、総合評価のすべてで、人間の案より大きく点数を下げました。実行前にあった差は消え、項目によっては順位が逆転しています。
対象は自然言語処理の研究で、生物学ではありません。それでも、この結果は生命科学にとって示唆があると私は考えています。研究案は、読んだだけでは良し悪しがわからない。実行して初めてわかる。第1回の言い方をすれば、確かめる手間がいちばん大きい種類の出力です。そして自然言語処理の100時間は、生物学では数か月になります。外れの案を引いたときの損失は、ウェットラボのほうがずっと大きいのです。
着想から論文までをAIだけで行う試みも、査読を通るところまで来ました。東京のAI企業とカナダの大学などのグループが開発したThe AI Scientistは、研究の案を出し、プログラムを書いて実験を行い、結果を解析し、論文を書きます。このシステムが書いた論文3本を、機械学習の国際会議ICLRのワークショップに、主催者の了解を得て投稿したところ、1本が採択の基準を上回る評価を受けました。論文は事前の取り決めに従って取り下げられ、経緯をまとめた報告が2026年3月にNature誌に掲載されています。開発者たち自身が認めているとおり、3本のうち通ったのは1本で、本会議の水準には届いていません。対象も、計算機の中で実験が完結する機械学習の研究に限られます。開発者たちは、こうしたシステムが査読の仕組みに負荷をかけ、文献に雑音を増やすおそれがあることも、論文の中で指摘しています。
生命科学の研究分野ではこうなります。仮説は、すでに安く、大量に手に入ります。前回紹介した調査で、研究の律速段階が実験の側に移ったと答えた科学者が43.5%いたのは、その結果です。足りなくなるのは、百の仮説のうちどれを実験台に載せるかを決める判断です。この判断には、その細胞株で何ができるか、その抗体が本当に使えるか、3か月で結果が出るか、といった、実験台の側の知識が要ります。PI(研究室を主宰する研究者)が学生の持ってきた案に対して毎週行っていることを、今後はAIの持ってきた案に対しても行うことになります。件数は、学生のときよりずっと多くなります。
◾️書く
三つめは論文を書くことです。
第1回で、2025年12月の生物医学論文の89%にLLMの痕跡があるという推定を紹介しました。AIを使って書くことは、すでに行き渡っています。ここで見たいのは、その結果、何が変わったかです。
米国の大学のグループは、arXiv、bioRxiv、社会科学のSSRNという、査読前の論文を公開する三つのサーバーに2018年から2024年に投稿された約210万本を分析し、2025年12月にScience誌で発表しました。文章の語彙の偏りから、著者がLLMを使い始めた時点を推定し、その前後の投稿数を比べています。LLMを使い始めた著者の投稿数は、使っていない著者に比べて、arXivで36.2%、SSRNで59.8%多くなっていました。分野と著者の属性で分けると、23.7%から89.3%の幅があります。増え方が最も大きかったのは、アジアの研究機関に所属する著者でした。
日本の研究者にとって、これは素直によい知らせです。英語で書くことにかかっていた時間は、母語話者には課されていなかった税のようなものでした。第1回の最初の場面で挙げた、何日もかけて直していた英語が数秒で整うという経験は、その税が大幅に下がったことを意味します。不利が小さくなること自体は、手放しで歓迎してよいと私は考えています。
同じ論文には、もう一つの結果があります。人間が書いた原稿では、文章が複雑で凝っているほど、その後に査読を経て出版される確率が高い傾向がありました。よく書けた文章は、よく考えられた研究の目印として、ある程度は機能していたわけです。LLMを使った原稿では、この関係が逆になっていました。文章は全体として複雑になり、複雑な文章ほど出版されにくい。文章の出来から中身の出来を推し量ることが、できなくなっています。著者たちは、文章が手がかりにならなくなれば、読む側は著者の経歴や所属といった別の目印に頼るようになり、LLMがもたらした機会の平等が打ち消されかねない、と書いています。この懸念は、あとの節でもう一度出てきます。
投稿を受ける側の数字も見ておきます。米国がん学会(AACR)は、発行する10誌に2021年から2024年に投稿された原稿を、AIが生成した文章を検出するツールにかけました。2024年の投稿では、抄録の23%、方法の欄の10%で、AIが生成したと見られる文章が検出されています。2025年の前半には、抄録で検出された原稿が36%に増えました。同誌は投稿時にAIの利用を申告するよう求めていますが、申告した著者は9%でした。検出ツールが、英文を整えただけの場合と文章そのものを書かせた場合をどこまで区別できているかは、私には確認できていません。その点を割り引いても、使っている人の数と、使っていると申告する人の数に、数倍の開きがあることは確かです。
申告しない理由は、想像がつきます。申告して得をすることが何もないからです。AACRの分析では、AIの文章が検出された原稿は、査読に回る前に不採択になる割合が高くなっていました。利用を認めるルールと、利用を不利に扱う実態が同時にあれば、黙って使うのが合理的な行動になります。ルールの作り方については第6回で扱います。
書くことについての私の見立ては、単純です。論文の文章を整える作業は、もう人間の仕事として数えなくてよい。その分、文章は研究の質の証拠として使えなくなった。この二つは同じ出来事の表と裏で、片方だけを受け取ることはできません。
◾️申請書
書く手間が関所の役をしていたことが、いちばんはっきり見えるのは研究費の申請です。
2026年4月、英国の大学と研究評価の研究機関に所属する二人の研究者が、Nature誌に論説を出しました。オーストラリア、ベルギー、カナダ、中国、スペイン、英国、欧州連合の12の助成機関から応募件数のデータを集めたところ、2025年の応募は、ChatGPTが公開された2022年に比べて平均で57%増えていたといいます。若手向けのマリー・スクウォドフスカ゠キュリー・フェローシップでは142%の増加です。質も上がっていました。足切りの基準に届かない申請は、2018年の20%から、2025年には5%に減っています。
著者たちは、この増加がAIによるものだと特定することはまだできない、と断っています。私もこの点は慎重に読むべきだと思います。英国の大手の医学研究財団は2026年7月、英国と欧州の助成機関を集めた会合で、出席したすべての機関が直近の公募で50%から100%の応募増を報告したと明かしました。同財団が挙げる原因は一つではなく、大学の財政難、他の資金源の縮小、応募資格の拡大が並び、AIについては、応募を容易にしている可能性が高いが決定的な証拠はない、としています。第2回で見たとおり、米国ではNIHの採択そのものが絞られています。行き場を失った申請がほかへ流れるのは、AIがなくても起きることです。
それでも、足切りにかかる申請が4分の1に減ったという数字は、資金難では説明がつきません。書類の出来が底上げされたと見るのが自然です。そして、ここに審査する側の困難があります。採択できるのが2割で、足切りを通る申請が95%あるとき、審査委員は、どれも十分によく書けた申請書の中から5本に1本ほどを選ぶことになります。論説の著者たちは、その選択はほとんど恣意的なものになると書いています。
助成機関の対応は、いまのところ三つの方向に分かれています。
一つは、本数を制限することです。冒頭のNIHがこれにあたります。先ほどの英国の財団も、不採択になった申請の再応募に1年の間隔を求め、評価が最も低かった申請には再応募を認めないことにしました。
二つめは、抽選です。同じ財団は、テーマを定めた公募で応募が一定の数を超えた場合、審査に進める申請を無作為に選ぶ仕組みを導入しました。足切りを通った申請の中から抽選で採択を決める方法は、英国やオーストリアの助成機関がAIより前から試してきたもので、審査の負担を減らし、審査委員の好みの偏りを避ける方法として提案されてきました。
三つめが、論説の著者たちの提案です。申請書という文章を評価の中心から外し、申請者本人と研究チーム、これまでの研究の蓄積を評価する方向へ移るべきだ、というものです。論文の影響、共同研究の広がり、手法の多様さ、経歴の軌跡をAIで分析し、申請書に書かれた内容と実績が合っている候補を絞り込む、という使い方も提案しています。AIの利用を禁止するという対応については、実効性がないとして退けています。
三つめの提案に、私は賛成できません。文章が当てにならないから実績を見る、というのは筋が通って聞こえます。けれども、実績で人を選ぶ仕組みは、すでに実績のある人を選びます。第2回で見た、任期3年未満のポスドクと、初めて自分の研究費を取ろうとする助教は、蓄積の量で比べられれば勝てません。前の節で触れた、読む側が経歴や所属に頼るようになるという懸念が、制度として実現することになります。若手向けの枠を別に設ければ緩和はできますが、その枠の中ではやはり文章以外の何かで選ぶ必要があり、問題は残ります。
私は、足切りを通った申請からの抽選のほうが、まだ正直だと考えています。審査で区別がつかないのであれば、区別がつかないと認めるほうが、つかないものをつくと言い続けるより害が小さい。抽選には、落ちた理由が自分の研究の質にないとわかる、という効用もあります。もっとも、これは何を公平と考えるかに関わることで、読者によって判断が分かれるはずです。
日本についても書いておきます。第2回で、2026年度の科研費の新規応募が前年度より4.8%増えたと書きました。海外の12機関の57%に比べれば小さい数字で、AIが関係しているかどうかも、私にはわかりません。科研費の審査で生成AIをどう扱うかについて、日本学術振興会の公開資料から明確な規定を見つけることは、今回もできませんでした。
個人の側から見た損得も確認しておきます。第2回の調査では、教員が申請書に使う時間は5年間で99時間でした。AIでこれが半分になっても、取り戻せるのは年に10時間ほどです。一方で、全員がその10時間を使って1件多く出せば、審査する側の読む量は確実に増えます。個人が得るものは小さく、制度が受ける負荷は大きい。申請書については、この非対称がすべてだと思います。
◾️査読
最後は査読です。第2回で、査読の依頼を引き受ける人の割合が43%から22%に下がったという数字を紹介しました。そこに、書きやすくなった分だけ増えた原稿が届いています。
査読者は、すでにAIを使っています。ある学術出版社が2025年の5月から6月に研究者1,645人に尋ねた調査では、査読でAIを使ったことがある人は53%でした。前の年の調査では24%だったといいます。第1回で紹介した別の調査の23.5%は、査読のたびにほぼ毎回使う人の割合で、こちらは一度でも使ったことのある人の割合です。使い道で最も多いのは査読報告の文章を書くことで、使った人の59%が挙げています。原稿の内容の要約が29%、不正の疑いの検出が28%でした。自社でも査読支援のAIを開発している出版社の調査なので、その点は割り引いて読む必要があります。
一方で、ルールの多くはこれを認めていません。第1回で日本森林学会誌の例を挙げましたが、大手の出版社も、査読者が原稿を外部の生成AIに入力することを原則として禁じてきました。未発表の原稿を第三者のサービスに渡すことになるからです。
禁止がどのくらい効くかについては、先ほどのAACRのデータがあります。同学会の雑誌では、査読コメントからAIの文章が検出される件数が、2023年の終わりに査読での生成AIの利用を禁止した直後にいったん減りました。しかしその後はまた直線的に増え、2024年には査読コメントの4.8%で検出されています。
機械学習の分野は、さらに先へ進んでいます。国際会議ICLR 2026に提出された査読およそ75,800件を検出ツールの開発企業が分析したところ、21%が全文をAIが書いたものと判定され、半数以上に何らかのAI利用の痕跡がありました。投稿する側も対応しています。日本の新聞は2025年7月、arXivに投稿された少なくとも17本の査読前の論文に、AIに向けた指示が隠されていたと報じました。白い文字やごく小さな文字で、肯定的な評価だけを書くように、といった文が埋め込まれていたのです。著者の所属は、日本、韓国、中国、米国など8か国の14機関にわたります。指摘を受けて論文の取り下げを表明した著者がいる一方、AIに原稿を読ませる怠慢な査読者への対抗策だと説明した著者もいました。人間には見えない文字が効果を持つのは、査読者が原稿をAIに渡したときだけです。書き手がすでに、読み手はAIかもしれないと想定して書いていることになります。この件の研究公正上の扱いは、第6回で改めて取り上げます。
では、AIに査読をさせると、どの程度のものが出てくるのでしょうか。
人工知能の国際会議AAAI-26は、これを正面から試しました。2025年の秋に行われた審査で、本審査に進んだ22,977本の投稿すべてに、AIが書いた査読を1本ずつ付けたのです。AIの査読であることは明示され、点数や採否の推薦は含まず、人間の査読者の数は減らしていません。生成にかかった時間は全体で1日未満、費用は1本あたり1ドル未満でした。
著者と査読委員から集まった5,834件の回答では、九つの評価項目のうち六つで、AIの査読が人間の査読を上回りました。差が大きかったのは、技術的な誤りの指摘、それまで考えていなかった論点の提示、改善の提案です。反対に、AIの査読は、些細な問題を強調しすぎる、査読自体に技術的な誤りが含まれる、という項目で人間より悪い評価でした。自由記述で最も多かった不満は、研究の新規性や意義についての大局的な判断が弱い、というものです。長すぎるという不満も上位に入りました。丁寧すぎて困るという苦情は、人間の査読者にはあまり寄せられないものです。査読委員のうち、AIの査読を読んで論文の評価が変わったと答えた人は13.8%でした。回答は任意で、AIに関心のある人に偏っている可能性があります。分野も人工知能そのもので、生命科学の論文で同じ結果になる保証はありません。
この結果は、第2回に書いた見立てと、おおむね合っています。査読のうち、形式や誤りを確かめる部分は作業の速さで軽くなり、この実験でこの結論が言えるのか、この研究に意味があるのかを判断する部分は軽くならない、という見立てです。修正が必要なのは境界の位置です。私は、AIに任せられるのは英語や書式や引用の照合までだと考えていました。AAAI-26の結果を見るかぎり、数式や解析の技術的な誤りを見つけるところまでは、AIの側に移りつつあります。
第1回で、査読での利用が低いのは、任せてよいという合意がないからだと書きました。その合意は、いま形を取り始めています。個人が自分のアカウントのチャットに原稿を入れることは認めない。出版社や学会が契約し、データが外に残らない条件で動かすAIは使う。この線引きです。学術出版大手の一社は2025年に、データの公開についての記載や倫理審査の記載などを点検する自社のAIツールを、50万本近い原稿に使ったと発表しています。機械学習の国際会議ICMLは2026年、査読でのAI利用を一切認めない方式と、条件つきで認める方式の二つを用意し、著者がどちらで審査されるかを選べるようにしました。
査読についての私の見立てをまとめます。原稿が投稿された時点でAIが点検の報告書を作り、人間の査読者はそれを読んだうえで、意義と結論の妥当性だけを判断する。3年のうちに、生命科学の主要な雑誌でもこの形が普通になると考えています。査読者1人あたりの負担は軽くなります。ただし、軽くなった分を上回る速さで投稿が増えれば、依頼の数は減りません。そして、残された判断の部分は、査読の中でもともといちばん難しく、いちばん時間のかかる部分です。
◾️物差しを当てる
前回作った物差しを、ここまでの話に当てます。1年後、3年後、5年後、10年後の四つの時点について、どの程度確かな話かを添えて見通しを書くための枠です。
1年後、2027年秋です。応募と投稿の増加は続きます。申請の本数や再応募を制限する助成機関は増えるでしょう。どちらも、すでに起きていることの延長で、ほぼ確実です。文献調査では、人間なら数日かかる調べものを一度の指示で任せ、引用つきの報告を受け取る使い方が、普通の研究室にも広がります。意見が分かれるのは、その報告を元の論文で確かめる人がどれだけいるかです。制度の側は、科研費の公募を一度はさむだけで、大きくは変わりません。見ておくとよい数字は、2027年度の科研費の応募件数です。
3年後、2029年です。投稿された原稿をAIが点検することは、主要な出版社で標準になっています。これはほぼ確実と見ています。AIの査読を、人間の査読と並ぶ正式な1本として数える雑誌が生命科学で現れるかどうかは、意見が分かれます。私は、現れるが少数にとどまる、と推測しています。研究費では、抽選や本数制限を取り入れる方式が、欧州を中心に増えているでしょう。日本の制度がそこまで動くかどうかは、わかりません。配列や構造の解析のように計算機の中で完結する研究では、論文の下書きまでをAIが作り、人間が直す、という手順が先端の研究室で当たり前になっています。
5年後、2031年です。ここは意見が大きく分かれます。分かれ目は、論文と申請書という文章が、評価の中心にとどまっているかどうかです。書くのも読むのもAIが先に行うようになれば、人間が読む文章は全体のごく一部になります。そのとき、評価の対象が、文章から、データやプログラムや追試の結果へ移っているのか。それとも、著者の経歴と所属へ移っているのか。前者なら研究は確かめやすくなり、後者なら新しく入ってくる人には厳しくなります。どちらになるかは技術では決まらず、助成機関と学術誌がこの数年に下す決定で決まります。
10年後、2036年です。推測として、二つの筋書きを書きます。基本の筋書きでは、論文も申請書も残っています。ただ、役割は変わっています。説得のための文章というより、何を行い、誰が責任を負うかの記録です。読むのは主にAIで、人間は要所で判断し、署名します。もう一つの筋書きは、それを加速させたものです。仮説から検証までの一巡りが短くなり、論文という区切りを待たずに結果が共有され、別のAIがそれを追試します。査読は、出版前の関門から、出版後の継続的な検証に近いものへ変わります。
二つの筋書きのどちらでも、変わらないことが一つあります。文章が研究の質の証拠でなくなったあと、証拠として残るのは、データと、それを生んだ実験です。画面の中で作れるものの値段が下がるほど、画面の中では作れないものの値打ちが相対的に上がります。
次回は、その実験台の上の話をします。手が動くことの価値は残るのか、残るとすればどの手技なのかを考えます。
◾️今回参考にした情報
・NIHの通知: NOT-OD-25-132
・Automation of Systematic Reviews with Large Language Models. https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2025.06.13.25329541.full.pdf
・ディープリサーチ型AIの監査: https://iclr.cc/virtual/2026/poster/10009560
・研究案の実行実験: https://arxiv.org/abs/2506.20803
・The AI Scientist: https://www.nature.com/articles/s41586-026-10265-5
・LLMと論文の生産: https://arxiv.org/abs/2601.13187v1
・助成機関への応募増: https://www.timeshighereducation.com/news/research-funders-flooded-ai-assisted-applications
・英国の医学研究財団の発表: https://wellcome.org/insights/articles/rethinking-future-research-funding
・抽選による配分の先行例: https://academic.oup.com/spp/article/49/4/580/6542962
・査読者のAI利用: https://www.niso.org/niso-io/2026/01/new-report-highlights-growth-use-ai-peer-reviewers
・隠された指示: https://gigazine.net/news/20250707-paper-hide-ai-prompt
・AAAI-26のAI査読: https://arxiv.org/abs/2604.13940
・原稿点検のAIツールの利用実績: https://www.researchinformation.info/news/springer-nature-expands-use-of-ai-across-publishing-workflows
・ICML 2026の二方式: https://icml.cc/Conferences/2026/Intro-LLM-Policy

