研究と恋愛〜ライフサイエンス研究者の幸福論
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第12回:女性/独身/古希手前/元研究所長/社内不倫
私鉄の駅から住宅街へ続く坂を上りきった角に、その喫茶店はある。木目の外壁に、小さな看板が一つ。平日の午後1時過ぎ、客は奥の席の老夫婦が一組だけだった。
坂崎由紀子(69歳)は、窓際の席で先に待っていた。紺色のブラウスに、小粒の真珠のペンダント。灰色の髪は短く整えられている。
「遠いところまで、すみませんね。ここはコーヒーが美味しいんですよ」
坂崎は4年前、某製薬企業を退職した。そのときの肩書きは第4研究所の所長。同社で女性が研究所長に就いたのは、彼女が初めてだった。結婚歴はない。現在は、都心から電車で40分ほどのこの町の分譲マンションに、一人で暮らしている。
***
深煎りのブレンドと、苺の載ったショートケーキが運ばれてきた。
「会社勤めをしていた頃は、喫茶店でゆっくり座ってケーキを食べることなんて、ほとんどありませんでした。平日は朝から晩まで職場にいましたし、週末なんかもほとんど仕事をしていたので」
坂崎は上品な微笑みを浮かべ、コーヒーを口にした。
取材を申し込んだとき、彼女は電話口でいくつか質問をしたあと、一つだけ条件を出した。
「その人のことを必要以上に悪くは書かないでください」
その人とは、彼女の元上司で、のちに同社の常務取締役になった男性である。二人の関係は四半世紀あまり続いた。相手には家庭があった。社内では、多くの人がそれを知っていたという。
***
坂崎が入社したのは1980年代のはじめである。薬学の修士課程を出て、研究職として採用された。同期の研究職は22人。女性は彼女一人だった。
「配属初日に、当時の室長から言われました。『女性だからといって、特別扱いはしないよ。良くも悪くもね』と。ただ、共用スペースのお茶やお菓子の補充は私が担当になっていました。もちろん自腹ではなく、みんなからお金をちょっとずつ集めて購入したものを置くだけでしたが。でも、女性社員がやることが多いと一般的に考えられていた作業は、優先的に私のところにきましたね。さすがに、お茶汲みみたいなものはなかったですけど」
とは言え、彼女のメインの仕事は、当然、実験などの研究活動だった。入社から数年、彼女が主に担当していた業務は、がん細胞の初代培養とスクリーニングだった。特別に調製した細胞を培養器の中で増やし、化合物を一つずつ当てて反応を見る。細胞は放っておくと実験には使えない状態になる。土日も祝日も、誰かが様子を見に行かなければならない。その「誰か」は、もちろん、実験を担当していた坂崎だった。
「周囲の男性社員よりもたくさん働こうと決めていました。なめられたくなかったので。まだ若かったんです」
そう言って笑い、坂崎は当時のことを思い出しながら語ってくれた。
入社3年目の夏、深夜に落雷で研究棟が停電したことがあった。一人暮らしをしていた部屋の電話が鳴り、そのときの上司から「培養室の警報が鳴っている。他にも何人かに頼んだが、君も職場に近いから様子を見に行ってくれないか」と頼まれた。
「その場に来た人は若い人が多かったですね。実際は他にも近くに住んでいた人がいたんですけど、家庭持ちの人にはあまり頼まなかったようです。そういう意味では、入社したときに言われたように、男女関係なく扱われていたんですね」
坂崎は化粧もせず、タクシーで研究所に向かった。彼女は非常用に常備された懐中電灯で実験室を照らしながら、非常用電源に接続された培養器や冷凍庫に、必要な実験資材などを移動した。
翌朝、出勤してきた上司は、無事だった細胞を確かめると「助かったよ」と言った。次の日には、ちょっとしたお菓子を買ってきてくれた。
「タクシー代も、ちゃんと経費で落としてもらいました。あの頃は、それで十分だと思っていましたね。実際、細胞が無事だったことのほうが嬉しかったので」
仕事の成果は出ていた。ただ、社内の報告書や論文の著者欄では、彼女の名前は後ろのほうに並ぶことが多かった。
「当時は年次の順に名前を並べる慣習がありました。私の名前が後ろだったのは、女性だからという理由ではないと思います。実際に、同期の男性も同じような扱いを受けていました。それでも、自分がメインで手を動かした実験の論文で、自分の名前が真ん中くらいにあるのを見ると、少し考えるものはありました」
ある年のゴールデンウィーク、彼女は午前7時に研究所に入った。顔馴染みの守衛は坂崎を見ると、「いつもご苦労様」と言って通用口を開けてくれた。培養器の扉を開け、フラスコを一本ずつ顕微鏡にのせる。作業を終えて外に出ると、駐車場には車が一台もなかった。
「静かでいいな、と思ったのを覚えています。寂しいとは思いませんでした。細胞の調子がよかったんです、その頃は。スクリーニングも順調に行っていたし、会社に行って実験をするのが楽しいなと思っていました」
入社して5年目、中学3年生のときのクラスメートから同窓会の案内が届いた。担任の先生が退職する祝いを兼ねて、ということだった。だが、坂崎は出席しなかった。
「実験が忙しいから、というのが表向きの理由です。もちろん、その理由も嘘ではなかったのですが、正直なところ、同窓会に行って、家族や子供の話をしている輪に入っても私には話すことがないなと思ったんです。実験や細胞の話をしても、誰も喜ばないでしょうけど、当時の私はそういう話にしか興味がなかったんです」
そうして、坂崎の20代後半は実験の毎日とともに過ぎていった。
***
取材の前に坂崎と電話で話したときに出てきた「その人」は、神谷という。坂崎より7歳上の研究者だった。彼女が入社して数年後、隣の研究室の室長になった。頭の回転がはやく知識も豊富で、研究所では早くから将来の役員候補と目されていた。若手の面倒見がよいという評判もあった。既婚で、子供が二人いた。
ある冬の夜、坂崎が一人で実験室に残っていると、神谷が入ってきた。
「『まだ残っているのか』と言われました。それから私がやっている実験のことを質問され、今後の見通しについてディスカッションしました」
神谷は「それは賢いやり方だね。その方法なら、これまでのスクリーニング系よりも効率的にGo/No Goを判断できる」と言った。それからは、坂崎が実験室にいるときにちょくちょくやってきて、ディスカッションをするようになった。それは大抵、夜遅い時間帯だった。
半年ほどが経ったある日、社内の人事異動が発表された。坂崎は神谷の研究室に異動した。
「元の上司は、私の異動について特に何も説明しませんでした。『上が決めたことだからね。まあ、あっちのほうが君には合うんじゃないかな』と。実際、そうでした。その異動で、私の人生が色んな意味で変わったんです」
異動してからは、神谷と二人で話す時間が増えた。社内の談話室でコーヒーを飲みながら、新しく出た論文の話をしたりもした。神谷は彼女のアイデアに遠慮なくダメ出しをし、それに対して彼女も言い返した。
「彼は、私の研究へのこだわりを『美しい』と言いました。そういう言い方をした人は、他にいませんでした。議論で私が勝つと、悔しそうな顔をするんです。それが嬉しかった。手加減されていないということなので」
研究の話をする場所は、やがて社内から社外のレストランや飲み屋に移った。少しお洒落な料亭のこともあった。神谷は研究プロジェクトを話すときと同じ口調で、自分のことを話すようになった。子供の頃に顕微鏡を買ってもらった話。管理職になって実験から離れたことへの未練。「家では仕事の話ができない」とも言った。
ある晩、店を出たところで、神谷は「嫌なら、このまま駅まで送る」と言った。坂崎は首を横に振った。
そのとき迷いはなかったのか、と私は尋ねた。
「ありましたよ。相手には家庭があるわけですから。それに、上司です。断ったら気まずくなるだろう、ということも頭をよぎりました。でも、それで決めたわけではありません。私は、あの人と話している時間が好きでした。それを手放したくなかった。そういうことだと思います」
坂崎が32歳、神谷が39歳の秋だった。
神谷は、将来について約束めいたことを口にすることがあった。「もう少し待ってくれ」と言ったこともある。
「真に受けたわけではありません。彼も、言いながら、それは自分の本心だとは信じてはいなかったと思います。お互い、それでいいことにしていました。もちろん、世間的に褒められた話でないのは承知しています」
***
坂崎は36歳で主任研究員になった。同期で一番早かった。40歳で課長、46歳で室長。同じ時期、神谷は研究所長から研究開発本部長へと昇進していた。その後、最終的には常務取締役へと進んだ。
二人の関係は、いつの間にか所内に知られていた。
「隠していたつもりでしたが、ああいうことは分かるものですね。辞令が出るたびに、何か言われているのは感じていました。『神谷さんのお気に入りだから』というようなことを、面と向かって言われたこともあります。もちろん、冗談っぽくではありますが」
彼女のチームが担当していた候補化合物が、臨床試験に進むと決まった日のことだ。同期の男性研究員が、ある会議室の入口で声をかけてきた。
「『よかったな。本部長も喜ぶだろう』と。含みがあったのか、ただの祝いの言葉だったのか、今でも分かりません。私は『ありがとう』と言って、そのまま会議室に入り、会議に出ました」
もっとも、所内の全員が、彼女の昇進を同じ目で見ていたわけではない。長く一緒に働いた技術員の女性は、噂について一度だけ、こう言ったという。
「『私は坂崎さんのチームのデータをきちんと見ています』と。彼女は私たちの数字を10年以上見てきた人です。再現が取れないときは、遠慮なく突き返してきました。その人にそう言われたのは、ありがたかったですね。私の昇進は実験データに基づいた業績によるものだ、と言ってくれたようなものなので」
部下を持つようになってから彼女は、会議で自分のデータを説明するとき、必要以上に細かく根拠を示す癖がついた。
「誰からも文句が出ないようにしておきたかったんです。もともと、私は負けず嫌いだったんですよね。本部長のお気に入りだから良い思いをしている、と言われるのが癪だったんです。もっとも、そういう側面がゼロではないと自分でも思っていましたが。ただ、データに厳しくするという姿勢のおかげで、うちのチームのデータや報告書はしっかりしていると評判でした。部下には迷惑だったと思いますけどね」
坂崎はそう言って笑いながら、ショートケーキの最後の一口を口に入れた。
***
自分の昇進のうち、どこまでが業績によるもので、どこからがそうでないのか。坂崎は、それを切り分けようとしたことがあるという。
「45歳の誕生日の夜に、紙に書き出してみたんです。論文の数、特許の数、治験に進んだ化合物の数。同期と比べて、見劣りはしませんでした。むしろ多かった。ただ、最初に私のスクリーニング法を評価してくれたのは彼です。そこから先の機会の何割かは、やはり彼がくれたものでしょう。業績は私のもので、きっかけは彼のもの。そう理解して、紙は捨てました」
神谷のほうから、「人事について何か言われたことはあるか」と尋ねられたこともあるという。自分が贔屓をしていると言われていないか、やっぱり気になったのかもしれません。
「もちろん、『ありません』と答えました。本当は、ちょっと意地の悪い言い方をされたこともあったりしたんですけどね。でも、あの人は仕事の評価に関しては厳しい人でした。私に対しても、です。私の出した企画を役員会で落としたこともあります。その日、帰りに二人で食事をしたんですが、私は一言も口をきかなかった。向こうは困っていましたね」
坂崎はそう言って、小さく笑った。
***
そんな坂崎には、30代の終わりに一度だけ、別の道が現れたことがある。
学会で知り合った他社の研究者と、私的にメールのやり取りをするようになったのだ。2歳年下で、色々と不器用だったが、研究にも坂崎にも真っ直ぐな人だった。研究の専門は彼女と近く、最初のきっかけは、彼女の発表に対する質問だった。その学会の懇親会で連絡先を交換した。
「学会や勉強会などで会うたびに、会場近くのファストフード店で話をしました。彼は自分の仕事の失敗談ばかり話すんです。試薬の濃度を一桁間違えて、締め切り間際の実験が失敗したとか。それが可笑しくて、彼と話をしているとき、私はよく笑いました」
1年ほど経って、結婚を前提に付き合ってほしいと言われた。坂崎は返事を保留し、神谷に話した。そういう申し出を受けている、と。
「あの人はそれを聞いて、しばらく黙っていましたね。そして、『どうするかは君の自由だ』と言ったんです。『引き止める資格は、僕にはない』とも言ってました。そのあと少し間を置いてから『ただ、寂しくはなる』と付け加えました。ずるい言い方だとは思いましたが、それは嘘ではなかったと思います」
坂崎は2か月ほど考えた。
「彼と結婚すれば、社内での私の立場は悪くなると思いました。あの人があからさまな妨害をすることはないと思いましたが、私が気づいていない陰からのサポートはなくなるはずでした。実は、ちょうどその頃、追いかけていた化合物が動物実験で効き始めていたんです」
彼女は当時の実験の経過を、今でも日数まで覚えていた。投与から14日目に腫瘍の増殖が止まり、21日目に縮小が確認された。
「あれを諦めることは当時の私にはできませんでした。もちろん仕事だけでなく、神谷と離れたくない気持ちもありました。自分だけを見てくれる人生の伴侶がほしいと思ったことは一度や二度ではないですが、結局は研究とパートナーを同時に確保し続ける道を選んだんです。そのパートナーは私以外と家庭生活を送っていたんですけどね。我ながら、どうかと思いますよ」
坂崎は窓の外に目を向けたまま、そう語った。風が出てきたのか、窓から見える街路樹がわずかに揺れていた。
結局、坂崎はその研究者に電話をして断った。仕事に専念したい、と。電話の相手は、数秒の沈黙のあと、「あなたらしいと思います。研究の成功を祈っています」と言った。
数年後、彼が結婚したことを、学会の懇親会で人づてに聞いた。その後も学会で顔を合わせれば、挨拶をして、互いの発表に質問をした。
「いい質問をする人でした。最後まで」
その彼とはもうやり取りをしていないらしいが、彼の連絡先はスマホに残ったままだという。
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神谷が開発責任者を務め、坂崎のチームが中心となって進めた創薬プロジェクトは、彼女が50代になって実を結んだ。開発した薬は国内で承認され、その後、欧米でも販売された。会社の売上を支える製品の一つになった。承認の知らせが届いた日、彼女は研究室の全員を連れて、駅前の居酒屋に行った。乾杯の音頭を頼まれたが、言葉が出てこなかった。
「『お疲れさまでした』としか言えませんでした。みんな笑っていました。『所長らしい』と。まだ所長ではなかったんですけどね、その頃のあだ名です」
数年後、彼女は本当に第4研究所長に就任した。同社で初めての女性所長だった。会社は彼女の写真を、採用案内と株主向けの報告書に載せた。撮影は実験室で行われた。
「カメラマンの方に『顕微鏡を覗いてください』と言われたんですが、何も載っていなかったんです。それでは嘘になるので、わざわざ培養室から細胞を持ってきてもらいました。写真には写らないのに」
その頃、神谷は常務取締役だった。辞令を受けた夜、二人はホテルのバーで会った。
「彼は『おめでとう。君の頑張りが実を結んだ。所長昇進は遅いくらいだ。力及ばずで申し訳ない』と笑いながら言いました。そのとき、グラスを持つ彼の薬指の指輪が目に入りました。それから自分の手を見ました。何もついていない手です。彼には役員の椅子と、家庭と、成人した子供がいる。私には所長の肩書と、あの薬がある。そう数えました」
3つと2つ。向こうのほうが多いと感じたのか、と尋ねた。
「数えただけです。比べられるものではないので」
役員になった神谷は多忙になり、会う回数は減っていた。会えば、話題は予算や組織のことが多くなった。
「お互い、それぞれの業務が忙しくなりましたからね。私も、彼と会っているときでも、頭の中では手付かずになっている業務のことなどがぐるぐるしていました」
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所長になってから、彼女の部下は増えていった。もちろん、若い女性の研究員もいた。その一人が、面談の最後にこう言ったことがある。
「『所長のように、実力で上に行きたいです』と。まっすぐな目でした。私のことを知らないはずはないんです。それでもそう言ってくれたのか、本当に知らなかったのか。私は『データをきちんと出しなさい。それだけは裏切らないから』と答えました。それは本心です」
神谷は68歳で役員を退任した。送別の会は本社で開かれ、坂崎は研究所の代表として花束を渡した。神谷は「長い間ありがとう」と言い、彼女は「お世話になりました」と言った。
その後も何度か電話で話したが、やがて間遠になり、途絶えた。
「別れ話はしていません。彼は家に戻り、私は研究所に残った。それだけのことです。30年近く続いたものにしては、静かな終わり方でした。あれでよかったと思っています」
昨年、神谷が脳梗塞で倒れたことを、坂崎は人づてに聞いた。見舞いには行っていない。
「ご家族がいらっしゃる場所ですから。幸い重症ではなく、今はかなり回復されたと聞いています」
***
65歳で退職した日、坂崎は帰宅してまず、台所の壁のカレンダーを外した。そこには長年、会議と出張の予定が書き込まれてきた。翌月の欄は白かった。
「白いままの月というのを、初めて見ました。どうしていいか分からなくて、とりあえず外しました。今は、花の写真のものを掛けています。予定はあまり書いてありませんが」
現在の暮らしは規則的だ。朝6時に起き、新聞を読み、午前中に1時間ほど歩く。午後は図書館か、この喫茶店に来る。週に二度、駅前のデパートの地下で惣菜を買う。3〜4ヶ月に一度は、退職した元同僚と昼食をとる。年金と貯蓄があり、経済的な不安はない。
習慣で、今も専門誌の目次は毎月確かめている。知っている名前を見つけると、論文を取り寄せて読む。読み終えると、余白に疑問点を書き込む。ときどき、それを元の部下にメールで送る。
「迷惑だろうと思うんですが、ちゃんと返事が来るんです。『所長、その点は査読でも指摘されました』と。今でもまだ所長と言ってくれるんですよね」
そう言って笑った彼女のカップに、コーヒーはほとんど残っていなかった。窓の外で、街路樹の葉が揺れていた。奥の席の老夫婦は、いつの間にか帰っていた。店主がカウンターの向こうで、静かに豆を量っている。
最後に、若い女性研究者に伝えたいことはあるか、と私は聞いた。
「特にありません。私の生き方を勧めるつもりはないし、やめておけと言う資格もない。時代も違います。ただ、会社での研究人生を聞かれたら、後悔のないように生きてください、と言うと思います」
後悔しているのか、と尋ねた。
「あのとき別の道を、と考える夜はあります。それを後悔と呼ぶなら、そうなのでしょう。ただ、もう一度あのときに戻ったとして、違う選び方をするかと聞かれると、自信がありません。それが良いことなのかどうかは、別の話として」
坂崎はコーヒーカップを持ち上げ、底に溜まった液体を静かに口に運んだ。会計を済ませて店を出ると、西日が坂道を斜めに照らしていた。
「今日は予定がないので、ゆっくり散歩をしてから帰ります。私の帰りを待ってくれている人は家にはいませんから」
坂崎はそう言って、少し笑った。それから軽く会釈をして住宅街のほうへ歩いていった。
*本連載は、著者が収集した多数の実例や証言を基に再構成したフィクションです。プライバシー保護および個人特定の防止のため、複数のエピソードを統合し、固有名詞の変更を含めた大幅な脚色を施しています。実在の特定の人物や組織を指すものではありません。

