研究と恋愛〜ライフサイエンス研究者の幸福論



研究と恋愛〜ライフサイエンス研究者の幸福論

第11回:薬剤師/女性/40代/ラボ内カップル/二児の母

バイオ研究者たちの恋愛には、他の職業にはあまり見られない独特の近さがある。一日の大半を、物理的にも精神的にも閉ざされた空間であるラボで過ごすことから、同じ言葉と同じ時間感覚を共有する「ラボ内カップル」が生まれるのは、ごく自然な成り行きと言えるだろう。

しかし、互いに研究者を志してスタートした恋愛は、その後のライフステージが進むにつれて、必ずしも同じ軌道を描くとは限らない。結婚・留学・出産といったキャリアの分岐点。それぞれの節目で、どちらか一方が研究という生き方から距離を置く選択をすることは、決して珍しい話ではない。

同業者だからこそ分かり合える部分と、同業者だからこそ生まれる静かなズレ。高橋真由美(43歳)の半生は、そうしたバイオ研究者カップルの一つの事例として、決して珍しいものではないだろう。

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「バイオ系の研究者の恋愛って、とにかく距離が近いんですよ。大学院時代は、起きている時間のほとんどを研究室で過ごしていましたから、恋に落ちる相手が研究室の先輩だったのは、特別なことでも何でもなく、ごく自然な流れでした」

調剤薬局でのパート勤務を終えたあと、カフェで紅茶を口にしながら、高橋は20年ほど前の記憶をゆっくりとたどるように話し始めた。

高橋が通っていた私立大学薬学部の薬理学研究室。そこで4歳上の先輩だったのが、現在の夫である好一(47歳)だ。当時、好一は、がん細胞の増殖を抑える候補化合物の薬理作用とその作用機序を研究していた。

研究者同士の恋愛は、一般的な社会人同士の恋愛とは少し勝手が違う。映画館やレストランに出かける代わりに、二人が一緒によく過ごしていたのは、週末や深夜の研究室だった。

「実験の合間には、30分とか1時間とか、待ち時間ができるんです。その時間に研究室の一角に用意された共用スペースでコーヒーを飲みながら、最近読んだ論文の話や次の実験のアイデアについて話す。それが私たちにとっての『デート』でした」

高橋の印象に強く残っているのは、修士1年の7月、夜のラボで実験結果を二人で確認していたときのことだという。夏の始まりで日が長くなっているとはいえ、その時間帯は窓の外は真っ暗でキャンパスの他の建物の明かりも消えている部屋が多かった。

「Western Blotの結果を一緒に見ていて、あるレーンだけ明らかにバンドが濃いことに、ほぼ同時に気づいたんです。『これ、定量するまでもなく分かるよね』って顔を見合わせて、二人で少し興奮しました。今思えば、大した発見でも何でもないデータなんですが、あの瞬間の高揚感は今でもよく覚えています」

実験に使っていた遺伝子改変マウスの繁殖がうまくいかず落ち込んでいたときには、「ケージの中のオスとメスの割合を変えてみたら」と助言をもらい、実際にうまくいったこともあったという。バイオや薬学の研究は、地道な作業と失敗の繰り返しだ。その孤独な苦労を誰よりも理解してくれる相手として、二人の関係は少しずつ深まっていった。

学会発表の前夜、二人で発表スライドを何度も見直したことも、高橋にとって印象深い記憶の一つだという。

「私はまだ学部生で、学会に出たこともなかったんですが、彼の口頭発表の練習に何度も付き合わされました。想定質問を一緒に考えて、『そこはこう答えたほうがいい』とか言い合って。想定していた質問が本番でそのまま来たときは、二人で顔を見合わせて、心の中でこっそりガッツポーズをしました。あの頃は、彼の成功がそのまま自分のことのように嬉しかったんです」

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「研究者同士の恋愛の良さは、とにかく『言葉が通じる』ことなんです」と高橋は語る。

「一般の人に『今日は一日中、培養細胞のタイムコースの実験をしていた』と言っても、あまりピンとこないと思うんです。でも彼になら『大変だったね、何時間ごとにサンプル回収したの』とすぐに伝わる。研究への熱量をそのまま共有できる相手がいるというのは、当時の私にとって、かなり大きな支えでした」

学部の同期の多くが薬剤師として就職していくなか、研究の面白さに惹かれつつあった高橋は修士課程に進学した。そのまま博士課程に進んで大学か企業で研究を続けたい、という将来像を当時はぼんやりと思い描いていたという。

「同期の友人からは、『なんでわざわざ茨の道を選ぶの?』とよく言われました。実際、周りが就職して初任給の話をしているなかで、自分だけ奨学金とアルバイトで食いつないでいる状況に焦りがなかったと言えば嘘になります。それでも、実験がうまくいったときの達成感には代えがたいものがあって、当時の自分はそんな毎日が楽しかったんです」

しかし、研究者同士のカップルにとって、一つの分かれ道になりやすいのが、「どちらも研究者として生きていくのか」という質問が浮かんできたときだ。好一と一緒に、昼夜問わずに実験をしていた頃、この日常が続けばいいなと高橋は思ったという。だが、時間は止まってはくれない。

「一度だけ、博士課程に進むかどうか、指導教員に相談したことがあります。先生からは『向いていると思うよ』と言ってもらえて、かなり嬉しかったのを覚えています。ただ、ちょうどその頃、好一さんの留学の話が具体的に動き始めていて、私自身も将来について考え始めないといけないのかなと思った記憶があります」

実際に、高橋が修士課程2年となった頃、博士課程を終えて同じラボでポスドクをしていた好一のアメリカ留学が決まった。世界的に知られた研究機関でのポスドクポジションを得たのだ。博士号取得後すぐにこうしたポジションを得るのは、当時としても珍しいことだったという。留学が決まった直後、好一は高橋にこう切り出した。「留学するのは、君が修士課程を終えてからにするから、一緒にアメリカに来てほしい」と。

「その言葉を聞いたとき、嬉しさと同時に、一瞬だけひやりとするものもありました。彼についていくということは、私は修士課程で研究を離れることを意味していたからです」

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結婚と渡米を決めたことを両親に報告したときのことは、高橋は今もよく覚えているという。

「父は元々、研究者としての私に、あまりピンときていなかった人でした。『薬剤師の資格があるんだから、それを活かせばいいじゃないか』というのが、父の一貫した考え方だったんです。だから、結婚と渡米を報告したときも、『それがいい』とあっさり賛成されました。反対されなかったこと自体はありがたかったんですが、少しだけ、自分が積み上げてきた研究への思いを、本当の意味では父には理解してもらえていなかったんだな、と感じた瞬間でもありました。

母は逆に、少し複雑そうな顔をしていました。『あなたは研究が好きなんでしょ。本当にそれでいいの?』と、一度だけ聞かれたのを覚えています。当時の私は、『大丈夫、後悔しないから』と答えましたが、正直、あの時点では自分でもよく分かっていなかったと思います。今こうして振り返ってみると、あの時の母の質問が、一番的確に自分の迷いを言い当てていたのかもしれません」

結局、二人は大学を卒業すると同時に結婚し、アメリカ・ヒューストンでの生活が始まった。

そこで待っていたのは、想像していた以上の「立場の違い」だった。好一は朝から晩までラボにこもり、世界中から集まった研究者たちに混じって、日々の実験とディスカッションに追われていた。実験データがまとまれば学会発表をし、論文を書く。彼のキャリアは、着実に積み上がっていった。

一方の高橋は、研究者としてではなく「研究者の配偶者」としてのビザ(J-2ビザ)で渡米していた。語学学校に通いながら、現地の日本人コミュニティに顔を出し、アパートで夫の帰りを待つ日々。近所のスーパーで食材を買い、夕食を作り、疲れて帰宅する夫を迎える生活が続いた。

「彼がラボでの出来事を嬉しそうに話してくれるんです。『今日、ボスにこのデータを見せたら褒められたよ』って。かつての私なら、一緒に議論しながら喜べたはずなんです。でも、そういう話を、食洗機から食器を取り出しながら聞いていたりすると、胸のあたりが少し重くなるようになりました」

留学時代、一生の思い出と言えるような楽しい出来事がたくさん起きたようだ。だが、その一方で、高橋にとっては思い出すのが苦しい出来事も山のようにあったという。手にしていた紅茶のカップをテーブルに置き、カップに残った液体を見ながら、少し重い口調で彼女は語り始めた。

「現地のコミュニティで知り合った人に、同じくJ-2ビザで来ていた日本人女性がいたんです。以前は分子生物学の研究者だったみたいなんです。その人とは、お互いの経歴を知ってから、よく一緒にランチをするようになりました。彼女も『研究の話ができる相手が周りにいなくて寂しい』と言っていて、研究関連のニュースについて一緒に話をすることもありました。ただ、そういう時間を過ごすたびに、余計に自分が置いてきたものを意識してしまいました」

好一のラボで毎年開かれるクリスマスパーティーに、配偶者として招かれたときのエピソードを語るときも、高橋の表情は暗かった。

「みんな研究の話で盛り上がっているんです。ボスの奥さんも研究者として働いている人でした。彼女はとても感じのいい人で、英語がまだ拙かった私にも気さくに話しかけてくれました。でも、『Yumiは何をしているの』と聞かれても、『夫のサポートをしています』としか答えられず、そんな自分がひどく惨めに感じたのを覚えています。悪気なく聞いているのは分かっているんですが、パーティーが終わって部屋に帰ると、どっと疲れが出ました。そのことを夫に少し愚痴ってしまったのですが、彼も申し訳なさそうな顔をするので、それ以上は言えなくなってしまいました」

互いに同じスタートラインに立ち、同じ研究室で白衣を着ていたはずの二人。それなのに、今の自分は1xPBSが入った容器ではなく洗濯機洗剤の入った容器を持っている。そのことに気づくたび、高橋の胸中には複雑な感情がこみ上げてきたという。

「バイオ系の研究者にとって、研究そのものがアイデンティティの大きな部分を占めていることは、私自身がよく分かっていました。だからこそ、彼が羨ましくて仕方がない気持ちと、彼の邪魔はしたくないという気持ちが、いつも同時にありました。自分の中の嫉妬と愛情がうまく整理できずにいた時期です」

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数年間の留学を終えて帰国した後も、好一は着実にキャリアを重ねていった。母校である私立大学薬学部の助教に採用され、30代後半で准教授に昇進。自身の研究グループを持ち学生を指導しながら、外部資金を獲得して国際誌への論文発表を続けている。

その一方で、高橋は二人の子どもを出産し、育児を担うことを選んだ。夜泣き、授乳、保育園や学校とのやり取り、日々の家事。研究の世界からは完全に離れていた。

そんな中、好一の准教授昇進が決まった。その日のことを、高橋はよく覚えているという。

「本人から連絡をもらって、もちろん心から嬉しかったです。おめでとうって伝えて、その夜は子どもたちと一緒にケーキを買って、ささやかにお祝いをしました。ただ、その日の夜、子どもたちを寝かしつけたあと、一人になった台所で、少しだけ複雑な気持ちになったのも事実です。彼の人生の階段を、まるで自分のことのように見ていた頃と、今ちゃんと祝福できているつもりの自分との間に、小さな距離を感じたというか。うまく言葉にできないんですが・・・」

カップに残った紅茶を飲み干し、高橋は続けた。

「夫は家族思いですし、優しい人です。大学の仕事がどれだけ忙しくても、家に帰れば子どもたちにきちんと向き合ってくれる。経済的にも困ってはいませんし、大学の准教授の妻として周りからは『何不自由ない生活』に見えているだろうとも思います。実際、私も家族を愛していますし、自分は幸せだと感じています。ただ、夫の書斎から聞こえてくるキーボードの音や、持ち帰ってきた論文の刷り出しを見るたびに、消えたはずの感情が少しだけ揺れることがあるんです」

高橋は、夫の論文の著者リストを見るのが辛く感じることがあるという。彼の名前の隣に、かつて同じラボにいた後輩や同世代の研究者の名前が並んでいるのを見ると、「もし自分が研究を続けていたら」とつい考えてしまうからだ。そんなことを考えても意味はないと彼女自身も分かっているようだが、そういう気持ちが湧き上がってくるのをどう抑えればいいのかわからないという。

飲み干したカップを静かにテーブルに置きながら、少し神妙な表情を浮かべながら、下の子が幼稚園に上がったタイミングで一度だけ研究職への復帰を本気で考えたということを高橋は教えてくれた。

「その頃、夫の知り合いを通じて、企業の研究職の求人を紹介してもらったことがあります。修士卒でも応募できるポジションでした。書類を出す前に、久しぶりに大学時代の指導教員に相談の連絡をしたんですが、『気持ちは分かるけど、10年ほどのブランクを考えると、正直厳しいと思う』と、はっきり言われてしまいました。応募すること自体は自由だとも言ってもらえたんですが、結局、書類を出す一歩を踏み出せませんでした」

「悔しかったですし、少し落ち込みもしました。でも同時に、自分でも薄々分かっていたことを、はっきり言葉にしてもらえて良かったとも思いました。あのタイミングで無理に飛び込んでいたら、それはそれで大変だっただろうな、と今は思います」

その出来事があった後は、高橋は研究職への復帰という選択肢を、自分の中から完全に捨てたという。次に社会との接点を意識するようになったのは、それから数年後、下の子が小学校に上がる頃だった。

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下の子が小学校に上がったのを機に、高橋は5年前から近所の調剤薬局でパート薬剤師として働き始めた。10年以上のブランクを経ての復職だったが、薬学部時代に取得した薬剤師免許が、社会との接点を取り戻すきっかけになったという。

「復職前に、半年ほど研修制度のある薬局を探して、そこで一からやり直しました。薬の名前も、法律も、10年の間にかなり変わっていて、正直、最初は覚えることばかりで大変でした。ただ、研究の世界で鍛えられた『分からないことを一つずつ潰していく』というやり方は、意外とそのまま役に立った気がします」

パートの仕事にはやりがいを感じているという。患者一人ひとりに丁寧な服薬指導を行う高橋は、職場でも信頼されていると評判だ。ただ、かつての「研究者としての目」は、今も完全には消えていない。

「製薬会社のMRさんが新薬の説明に来てくれるんです。パンフレットには、新しい抗がん剤や免疫抑制剤の作用機序が図解で載っている。他のスタッフは『覚えることが多くて大変』と言っているんですが、私はそこに載っているグラフを見ると、つい昔のことを思い出してしまうんです」

そろそろ帰ってご飯の支度をしないといけない、と一度は腰を上げかけた高橋だったが、先日訪れたMRがたまたま出身研究室のOBだったという話になると、少女のような表情を浮かべて、そのときの様子を詳しく話してくれた。

「名刺交換をしたときに、大学名と学部が同じだったので声をかけてみたら、驚くほど話が弾んでしまって。その人が今扱っている薬のもとになった化合物のスクリーニングに、私たちがいた研究室が関わっていたらしいんです。世間は狭いなと思うと同時に、自分がいた場所から、こうして薬という形になって世の中に出ていくものがあるんだな、と感慨深いものがありました」

そして、明るい表情を浮かべたまま、高橋はこう続けた。

「あとで、その人が持ってきた資料を見ながら、『この実験、どの細胞株を使っているんだろう』とか、『マウスモデルはどうやって作ったんだろう』とか、データの裏側にある実験系のことをあれこれ考えたんです。頭の中で、次にどんな実験を組めば新しい発見に繋がるか、勝手にシミュレーションもしてみました。そういう自分に気がついたとき、『ああ、自分は今でも実験そのものが好きなんだな』、と少し嬉しく同時に少し寂しいような不思議な感覚になりました」

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バイオ研究者同士の恋愛は、深い共感から始まりながらも、キャリアの優先順位を巡って、言葉にしづらい葛藤を伴うことがある。研究の世界では今なお、男性側がキャリアを継続し、女性側が家庭や育児のために研究を後退させるケースが少なくない、というのが高橋自身の実感だという。

だが、「夫のことを恨んだことはありません」と高橋ははっきりと言う。

「彼が研究者として成功しているのは、彼自身が積み重ねてきた努力の結果です。そして、私が彼の留学についていって、家庭を守ったからこそ、今のこの家族がある。自分の選んだ道が間違っていたとは思っていません」

夜、家族が寝静まったあと、高橋は時々、子どもたちの写真が入ったパソコンのフォルダを開くことがあるという。留学時代に生まれた子どもたちの赤ん坊の頃の写真、最近の運動会の写真、そして、子どもたちを夫の職場に連れて行ったときの写真も残っている。

「そういう写真を見返すたびに思うんです。私の研究者としての道は途中で途切れてしまったかもしれませんが、二十代の頃の研究への情熱は私の人生を飾る大事な出来事だったんだな、って。あの情熱があったから今の夫と出会い、今の家族がある。そう考えると、研究の道をドロップアウトしてしまった自分を、それほど否定的には見ていないんです」

好一は今日も大学のラボで研究を続け、高橋は薬局のカウンターで患者と向き合う。同じ研究室で同じ夢を見ていたはずの二人が、その後たどる道を大きく分けるものは何なのか。今回に限って言えば、それは能力や情熱の差ではなく、渡米や出産といった、ごく普通のライフイベントのタイミングだったように見える。

研究者同士のカップルに限らず、共働きの夫婦であれば多かれ少なかれ直面する選択のはずだが、バイオ系研究職の場合、一度離れたキャリアに戻る道は、他の職種に比べて極端に狭い。バイオ系の研究職は、その性質上、キャリアの中断や後退が、他の職種以上に致命的になりやすい分野だからだ。数年の空白が、専門知識の陳腐化や、実験技術の遅れに直結してしまう。だからこそ、パートナーのどちらかが研究を続け、もう一方がキャリアを譲る、という選択は、この業界では珍しい話ではない。そしてその譲る側は、高橋自身が言っていたように、今なお女性であることが多い。

高橋はインタビューの間、一貫して「後悔はない」という姿勢で語り続けていた。それが本心からの言葉なのか、長い年月をかけて自分を納得させてきた結果なのか、他人が判断できることではない。だが、彼女が二十代の頃に研究に向けていた情熱が、形を変えながらもまだそこに残っていることだけは間違いない。インタビューを終えカフェを出ていく彼女の後ろ姿は、二十年前に深夜の研究室でベンチに向かってピペットマンを握っていた学生と確かにつながっているのだ。

*本連載は、著者が収集した多数の実例や証言を基に再構成したフィクションです。プライバシー保護および個人特定の防止のため、複数のエピソードを統合し、固有名詞の変更を含めた大幅な脚色を施しています。実在の特定の人物や組織を指すものではありません。


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