研究と恋愛〜ライフサイエンス研究者の幸福論
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第6回:元PI/元研究者/女性/事実婚
「ここ、夕方になるとテラス席がすごく気持ちいいんですよ」
初夏の爽やかな風が吹き抜けるニューヨーク・マンハッタン。ミッドタウンにあるお洒落なカフェのテラス席で、木村香織(50歳)は、大きめのグラスに注がれたアイスラテを愛おしそうに見つめながら微笑んだ。
木村は、すっきりと開いたリネンのシャツに、洗練されたパールのピアスを合わせている。50歳という年齢を感じさせない佇まいをもち、キャリアウーマンとしての自信が全身から溢れているように見える。しかし、彼女が渡してくれた名刺に書かれているのは、日本とアメリカの企業を結ぶ「人材コンサルティング会社」の役職であり、かつて彼女が身を捧げた「科学」の文字はどこにもない。
彼女は20代から30代にかけて、心筋細胞のシグナル伝達研究の分野で、将来を嘱望されたトップランナーだった。旧帝国大学で博士号を取り、北欧、そしてアメリカで独立したラボを持つに至った「エリート」だ。
しかし、40代前後に彼女を襲ったのは、失恋、激動の国際政治、そして築き上げたキャリアの崩壊だった。
「今の私を見たら、日本の大学の同窓生たちは『あいつ、研究も辞めて結婚もせず、一体何やってるんだ』って言うかもしれませんね。いわゆる『普通の幸せ』からも、研究者の王道からも、私は完全にドロップアウトしましたから。でもね、今の暮らし、これはこれで結構気楽で楽しいんですよ」
木村はそう言って、マンハッタンのビル群の間に沈みゆく夕日を見つめた。彼女が語る半生は、時代の波に翻弄されながらも、自らの足でアメリカのコンクリートジャングルを生き抜いてきた一人の女性の、あまりにもリアルな「戦後処理」の記録だった。
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1990年代後半、木村はある旧帝国大学の研究室で、博士課程の日々を過ごしていた。専門は「心筋細胞におけるシグナル伝達」。心臓の筋肉がどのように信号を受け取り、拍動し、そして不全に陥るのか。その緻密な分子メカニズムを解き明かす研究に、彼女は完全に魅了されていた。
「20代の頃は恋愛や結婚なんて視界にすら入っていませんでした。顕微鏡の中で細胞を見るのが大好きだったんです。知っていますか?心筋細胞って、培養していても一定のリズムで動くんですよ。そんな心筋細胞の細胞内情報伝達を調べる毎日が私にとっては幸せだったんです」
博士号を取得後、彼女はさらなる高みを目指し、幹細胞や循環器研究で世界をリードするスウェーデンの著名な研究所へ留学する。
そこからの7年間は、まさに「研究一筋」の修道士のような生活だった。北欧の長く暗い冬、ラボにこもりっきりで、ひたすら何かに追われるかのように実験ベンチに向かった。色恋沙汰とは完全に無縁。週末もクリスマスも関係なく実験をし続けた。その執念が実を結び、彼女は循環器系トップジャーナルに、心筋症の新たな治療標的となるシグナル経路に関する画期的な論文を連続して発表する。
この業績をもとに、木村はアメリカおよびヨーロッパの複数の大学に履歴書を送った。そして、オハイオ州シンシナティの有力大学からオファーを受け、「アシスタント・プロフェッサー」として迎えられた。アシスタント・プロフェッサーは日本では助教と訳され、今でも教授や准教授の補佐的な意味を持つことが多いが、アメリカでは独立したPIとして自分の研究室を持つことになる。
「自分の研究費を持ち、自分のラボを構え、テクニシャンやポスドクを雇う。30代前半で、アメリカのアカデミアという厳しい競争社会でそこまで行ける日本人の女性研究者はそう多くありませんでした。当時は、私の人生は完全にオン・トラックである、ここから世界を変える研究を発信するんだと、全能感に満ちていました」
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シンシナティでの生活が軌道に乗った頃、木村の人生に初めて「研究以外の要素」が滑り込んできた。相手は、研究の世界とは全く無縁の仕事で現地に滞在していた、3歳年下の日本人男性だった。
「彼は日本の伝統芸能の家系の生まれでした。独特の世界の重圧を背負っている人で、どこか影があって、でも私の知らない芸術や文化の世界を教えてくれた。アメリカの地方都市で、お互い日本人としての孤独もあったんでしょうね。すぐに意気投合して、同棲を始めました」
初めて知る誰かと暮らす温かさ。実験が失敗しても、家に帰れば彼がいる。木村は初めて「普通の女性」としての幸せを感じていた。
しかし、時計の針は残酷に進む。彼女が38歳を迎えた頃、生物学的なタイムリミットが頭をよぎるようになった。「子供を産むなら、もう時間がない」と。
「ある夜、彼に向き合って話を切り出したんです。ちゃんと籍を入れて、子供を授かるために本格的に動き出したい、と。私は自分のキャリアも稼ぎもあるから、経済的な心配はさせない、一緒に親になろうって」
しかし、彼の反応は木村の予想を裏切る、冷ややかなものだった。自分自身の今後の行く末。本当にアメリカにずっと住んでいてもいいのか。そして、年上のキャリア女性への気後れや父親になることへの覚悟のなさ。彼は話し合いから逃げ続け、数ヶ月のギクシャクした関係の末、ある日突然、荷物をまとめて部屋を出て行った。
「最後に彼が言い残した言葉は、今でも耳に張り付いています。『僕は君の人生に責任を持てない』って。無責任極まりないですよね。何を偉そうにって、当時は怒りで震えました。後で風の噂で聞いたんですが、彼は日本に帰国した後、すぐに実家が勧めた20代の従順な女性と結婚したそうです。あの時の裏切られたような、置いていかれたような絶望感は、忘れたくても忘れられません。ふとした拍子にあのときの様子が頭に浮かび、頭を掻きむしりたくなることがあるんです」
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再び一人の生活に戻った木村は、失恋の傷口を研究活動で埋めていた。しかし、運命の歯車は研究においても突然狂い始めた。第一次トランプ政権の誕生だ。新政権が打ち出した政策は、科学界、特に外国人研究者たちに壊滅的な打撃を与えた。
米国立衛生研究所をはじめとする連邦政府の科学予算が大幅に縮小され、研究費の採択率が驚異的に低下した。さらに、外国人に対する査証や雇用の締め付けが厳しくなった。
「アメリカファーストの煽りを、まともに喰らいました。私のラボのグラント申請がことごとく落とされたんです。論文を出していても、新しいアイデアが生まれていても、予算がなければラボは維持できない。ポスドクの給料が払えなくなり、試薬も買えなくなり、最終的には私の給料も確保できなくなりました。そして、私のラボは閉鎖に追い込まれたんです」
幸い、木村はそれまでにグリーンカードを取得していたため、国外追放処分になることは免れた。しかし、これまで築き上げた「自分の城」を失った彼女は、40代前半にして、一瞬で放り出された。
「そこから約1年間は、完全な無職でした。これまでの蓄えと失業保険があったものの、生活は質素にせざるを得ませんでした。シンシナティの誰もいないアパートで、ただ毎日が過ぎていくのを待っているだけでした。燃え尽き症候群というんでしょうか。政権交代による不透明感と外国人締め付けの中、もう一度、他の大学でラボを持とうという気力は、1ミリも残っていませんでした。私の20年間は何だったんだろう。子供も産めず、研究も失い、手元には何もない。まさにどん底でした」
貯金が底をつきそうになったころ、彼女がようやく始めたのは、日本とアメリカの企業を結ぶ人材紹介会社のアルバイトだった。かつて国際学会で拍手喝采を浴びていた博士が、自宅のPC前で、履歴書のスクリーニングや面接のスケジュール調整といった地味な作業を淡々とこなす。
「でも、そのアルバイトで色々な人と関わるうちに、少しずつ元気を取り戻していったんです。科学以外の世界でも、英語力や異文化での交渉経験、マルチタスク能力が普通に通用するんだという気づきもあって。何より、実験結果に一喜一憂せず、理不尽なリジェクトコメントに傷つかなくていい毎日が、心と体を回復させてくれました」
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40代半ば、木村は心機一転、シンシナティの家を引き払い、ニューヨークへと移住した。
人材紹介会社でのアルバイトを経験したことで、研究以外でも自分が通用したことを確認した木村は、NYに本社を置く大手人材コンサルティング会社の正規雇用としてのポジションを獲得する。現在の彼女は、日米間のエグゼクティブ層のマッチングを担当するシニアマネージャーとして、手腕を振るっている。主にはオンラインでの業務だが、週に一度はマンハッタンのオフィスにも行くという。年収もアカデミア時代より格段に良くなり、生活は安定してきた。
そして今、彼女の傍らには、5歳年下のフランス人男性の存在がある。二人は籍を入れず、ニューヨーク郊外のアパートで心地よい事実婚のスタイルをとっている。
「彼とは、お互いの過去やキャリアを尊重し合える、すごく良い関係です。でもね、最近よく『リタイアした後にどうするか』という話になるんですが、これがまた噛み合わなくて」
木村は苦笑しながら、ラテのストローをくるくると回した。
「彼はフランス人だから、老後はフランスの田舎に帰って、ワインでも飲みながら暮らしたいって言うんです。でも、私は嫌ですね。フランス語も話せないし、せっかくアメリカで築いた私のコミュニティを捨てたくない。仮にアメリカを去るとしても、日本の老後の医療制度を考えると、日本に拠点を置くのがいいかなと思ってるんです。日本語も通じるし、ご飯も美味しいし。彼は日本のアニメやゲームが好きですが、それでも彼を日本に連れていくのも彼にとってはかわいそうかな、と」
普通の夫婦であれば、ここで激しい衝突が起きるか、どちらかが妥協を強いられるだろう。しかし、木村の達観した表情には悲壮感がない。
「だからね、私たちはなんとなく分かっているんです。数年後、お互いがリタイアする時期が来たら、私たちはきっと自然と別れることになるんだろうな、って。お互いの進む道が違ったら、それぞれの場所へ帰る。冷たいようだけど、それが大人の関係です。だからこそ、今、このニューヨークで一緒に過ごせている時間を、精一杯楽しもうって思えるんです。未来に縛られない、今のこの瞬間だけが、私たちのすべてですから」
日本のライフサイエンス業界、あるいは世間一般の基準から見れば、彼女の経歴は「途中で挫折し、家庭も持てなかった失敗人生」と映るかもしれない。だから、インタビューの最後、彼女に「自分の人生をどう評価しているか」と尋ねてみた。
一瞬の沈黙の後、「難しい質問ですね」と言い、木村は暗くなり始めたマンハッタンのストリートに目をやった。
「博士課程に進まずに普通に就職して、普通の男の人と結婚して子供を育てていたら、今頃どんなお母さんになっていたんだろう。トランプ政権の荒波を耐え抜いて、今もどこかの大学でPIをやっていたら、その分野での高名な教授になれていたんだろうか。どこで道を間違えたんだろう、どの行動が失敗につながったんだろうって、夜にベッドの中でふとそういうことが頭に浮かんでくることがあります」
彼女は寂しげな目でそう語ったが、すぐにいつもの凛とした笑顔に戻った。
「でも、これが私の選んできた私の人生の結果なんです。子供はいないけれど、その分、自分のためだけに使えるお金と自由がある。教授の椅子はないけれど、グラントの締め切りやラボ閉鎖の恐怖に追われることなく、NYの美味しいレストランを巡る心の余裕がある。研究も恋愛もうまくいかずボロボロになり、それでも私は今、この街で自分の力で生活をし、機嫌よく生きている。人生、大正解の道なんて最初からどこにもないんですから。これでいいし、これがいいんですよ。私の人生をどう評価しているかと聞かれたら、大成功だと答えます」
カフェを出ると、ニューヨークの夜の帳が下りていた。木村は軽く手を振り、光と喧騒のミッドタウンへと消えていった。
*本連載は、著者が収集した多数の実例や証言を基に再構成したフィクションです。プライバシー保護および個人特定の防止のため、複数のエピソードを統合し、固有名詞の変更を含めた大幅な脚色を施しています。実在の特定の人物や組織を指すものではありません。

