研究と恋愛〜ライフサイエンス研究者の幸福論
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第4回:特任助教/女性/40代/未婚/恋人なし
「最後にお正月をご実家で過ごされたのはいつですか?」
都内の私立大学キャンパスに近い、うらぶれた喫茶店の片隅。夕方の店内は、営業回りのサラリーマンやスマートフォンの画面を覗き込む若者たちで適度に騒がしかった。目の前に座る宇佐美香織(43歳)は、運ばれてきたばかりのアイスコーヒーに添えられたストローを、細い指先で慎重に取り出しながら、少し困ったような笑みを浮かべた。
その指先は、長年の実験器具の操作や、強い有機溶媒、もしくは凍結保存容器から立ち上る液体窒素の冷気に晒され続けたためか、どこか固く、荒れているように見えた。爪は短く切り揃えられ、マニキュアの痕跡すらそこにはない。
「いつでしょうか。もう10年以上、まともな帰省はしていないと思います。実家の両親からは、生存確認のLINEがたまに来るくらいで、もう半分あきらめられていますね。『元気で生きてるなら、それでいい』って。大学院を卒業し、一人暮らしを始めた最初の5年くらいは、お盆や年末が近づくたびに『今年は帰ってくるのか』『良い人はいないのか』という電話がかかってきていたんですが、私がそのたびに『実験の予定が入っているから無理』と冷たくあしらっていたら、いつの間にか連絡自体が途絶えがちになりました。親不孝ですよね、本当に」
宇佐美は自嘲気味に笑う。しかし、その笑顔の裏には、43歳という年齢がもたらす特有の肉体的・精神的な疲弊と、数ヶ月後に迫った「雇い止め」というタイムリミットへの焦燥が、隠しきれない影となって張り付いていた。
彼女は、2000年代後半から2010年代にかけて日本中、いや世界中を席巻した「細胞治療による再生医療のバブル」の熱狂を、世界でもトップクラスのラボ(日本国内)で文字通り「肉体と精神のすべて」を捧げて生き抜いてきた元・若手研究者である。
「当時、細胞治療を研究するバイオ系の研究室は、どこも異様な熱気に包まれていました。再生医療や幹細胞の分野は、2012年のノーベル生理学・医学賞を追い風に、国から巨額の予算が投入され、1分1秒でも早く成果を出してトップジャーナルに論文を叩き込んだ者が勝つという、完全なデッドヒート状態でした。私のいたラボでも、教授も准教授も常にピリピリしていて、空気は張り詰めた風船のようでした。新しいデータが出れば全員で歓喜し、他国のライバルに先を越されたというニュースが入れば、その次のラボ・ミーティングはまるでお通夜のようになりました」
大学院の博士課程に進学したばかりの20代中盤、宇佐美はその巨大な渦の、まさに中心へと飛び込んだ。彼女に与えられたテーマは、特定の遺伝子を導入した細胞が、いかに効率よく、かつ安全に目的の細胞へと分化していくかを追う基礎研究だった。
文字にすれば「最先端の医療に貢献する高尚な学問」だが、その実態は、徹夜と立ち仕事が連続する過酷極まる「肉体労働」だった。
「細胞という生き物を相手にする以上、こちらの都合やスケジュールは一切通用しません。彼らは土日も、盆暮れ正月も、真夜中も関係なく成長し、変化し、そしてほんの少しの環境の変化で簡単に死にます。当時私がやっていた実験は、細胞の分化プロセスの初期段階を追うもので、サンプリング(サンプルの回収と固定)が『2時間おき、24時間連続』というスケジュールが基本的な実験アプローチでした」
2時間おき、24時間連続。それが意味するのは、完全なる睡眠の破壊である。
自宅に帰ることなど到底できない。デスクに突っ伏して眠るのが常で、横になれるのは、ラボの片隅に置かれた歴代の先輩たちの汗とカビの臭いが染みついたソファーベッドだけだった。大学の仮眠室は常に満杯で、そこを使えたらラッキーという程度。だが、いずれにしてもアラームをセットし、1時間半後には電子音で叩き起こされる。頭を激しく振って意識を戻し、ふらつく足取りでクリーンベンチの前に座る。ピペットを握り、細胞の培養液を吸引し、試薬を添加し、顕微鏡で状態を確認して記録する。作業が終われば、また次のアラームが鳴るまで意識を手放すだけだった。
「そんな生活を数日続けると、自分が昼間に生きているのか、夜中に生きているのか分からなくなります。時間感覚が完全に麻痺して、今が何曜日なのかすら思い出せなくなる。ラボの外に出て、まぶしい太陽の光を浴びたときに、激しい目眩と吐き気を覚えたのを今でも覚えています。コンビニの店員の『ありがとうございました』という声を聞いて、自分がまだ人間の世界にいることを再確認するような状態でした」
しかし、と彼女は一呼吸置き、鋭い眼差しを向けた。
「でも、当時はそれが全く苦ではなかったんです。自分が最先端の科学の歴史を書き換える一翼を担っているという、一種の全能感と興奮。そして『ここで私が寝過ごして手を抜いたら、他国のライバルに先を越されて、これまでの何百時間という努力がすべて水の泡になる』という狂気的な恐怖心。その2つだけで、脳内からアドレナリンを出し続けて走っていました。体に悪いなんてことは百も承知でしたが、当時の私たちにとって、実験を止めることは死を意味していました」
彼女の20代後半から30代前半という、一般的な女性が社会人としてのキャリアを確立し、恋愛を楽しみ、結婚や出産というライフイベントを模索する最も「濃密で、不可逆な時間」は、こうして完全にインキュベーター(細胞培養器)の中に吸い込まれていった。
***
「デートですか? するわけないじゃないですか、というか、物理的に不可能でしたよ。あの生活を見て、誰が私とお付き合いしたいと思うんですか?」
恋愛や結婚の可能性について尋ねると、宇佐美は少し声を大きくして、あきれたように、あるいは自分自身を突き放すように首を振った。
「今のようにマッチングアプリなんて便利なものが影も形もなかった時代ですから、出会いといえば合コンか、学生時代の友人からの紹介くらいですよね。仮に奇跡的に誰かと連絡先を交換して、土曜日のディナーの約束をしたとしても、金曜日の夜に仕込んだ細胞の状態が悪ければ、その時点で土曜日の予定はすべてキャンセルです。実験を中断するわけにはいかないので、すぐに新しい培養細胞を準備しなければならないんです。男の人とのご飯なんかより、そっちの方がずっと優先順位は高かったですね」
研究の世界において、実験のスケジュールは何よりも優先される。ドタキャンが1度や2度ならず、3度も続けば、どれほど寛容で理解のある男性であっても「自分は軽視されている」「彼女にとって俺は何なんだ」と感じて離れていく。
「最初の頃は、一般企業に就職した大学時代の友人たちから、週末の飲み会やバーベキュー、季節ごとのイベントの誘いが来ていました。でも、毎回『すごくいきたいんだけど、実験のスケジュールの関係で行けない』って断り続けていたら、だんだんグループのLINEや連絡網から私の名前が消えていきました。当然ですよね。ノリが悪いし、来ない人間を誘い続けるほどみんな暇じゃない。気づけば私のスマートフォンのアドレス帳は、ラボのメンバーと、実験機器の代理店の営業担当者の名前、あとはピペットマンなんかの修理業者の番号だけで埋め尽くされていました」
20代後半、宇佐美は一度だけ、他大学の研究者であるポスドクの男性と短い交際をしたことがあった。同じ業界の人間、同じ熱量で科学に向き合っている人間であれば、この異常な生活サイクルを理解してもらえるかもしれない、という淡い期待があった。
しかし、その実態は恋愛と呼ぶにはあまりにも索漠としたものだった。
「お互いに自分の実験が最優先ですから、デートをしようにもスケジュールが絶対に合わない。たまに会えても、お互いに寝不足なんかで心身ともに疲れがたまっているから、居酒屋で話す内容は『あそこのメーカーの抗体は染まりが良い』とか『教授がまた無理なデータを要求してきた』といった愚痴ばかり。ロマンチックな雰囲気なんて微塵もありません。最終的には、彼がアメリカのラボに留学することが決まって、私はその出発の日も実験の手が離せなくて空港に見送りにも行けないまま、自然消滅しました。別れ話をするエネルギーすら、当時の私たちには残っていなかったんです」
当時、彼女の頭の中の9割以上を占めていたのは、恋愛への憧れや将来への孤独感ではなく、「この実験は仮説通りのデータが出るのか」「次の論文がどこに通るか」というような研究に関することのみだった。
ライフサイエンスの世界では、Cell、Nature、Scienceといった、いわゆるトップジャーナルに第一著者(ファーストオーサー)として論文が掲載されなければ、将来の定職(任期なしの常勤ポスト)を得ることはおぼつかない。それが当時の学術界に蔓延していた強固な「常識」であり、若手たちを限界まで駆り立てる見えない鞭だった。
「周囲の女の子たちが、流行りの服を着て、お洒落なレストランに行って、結婚相手を見つけていく姿を、mixiやFacebookの画面越しに見ることはありました。でも、どこかで彼女たちを『俗世の人々』と見下すことで、自分のプライドを保っていたんだと思います。『私はもっと価値のある、人類の未来のための研究をしているんだから。彼女たちの消費的な生き方とは違うんだ』って。でも、今にして思えば、本当に痛々しい傲慢な勘違いでした。ただの現実逃避だったんです。そう思わなければ、自分の20代がすべて否定されてしまうような気がして、怖かったんです」
そう語る彼女の視線は、ほとんど手つかずのまま残されたコーヒーの表面に落ちていた。氷が溶けて薄まった茶色の液体を見つめるその横顔には、かつて世界の最先端を走っていたはずの科学者としての誇りよりも、人生の最も美しい時期に、何か決定的に大切なものを手からこぼし落としてしまったことへの、深く静かな後悔がにじんでいた。
***
時が経つのは、窓のないラボの中にいると恐ろしいほど早い。24時間稼働する空調のブーンという不快な重低音を聞きながら、暗室で顕微鏡を覗き、蛍光に光る細胞のシグナルを追いかけているうちに、季節は巡り、数年単位の時間があっという間に溶けていく。
宇佐美が30代半ばを迎えた頃、あれほど熱狂的だった「再生医療バブル」にも、明らかな陰りが見え始めた。国からの大型予算のプロジェクト期間が次々と終了し、あちこちの大学で研究室の縮小や閉鎖が相次いだのだ。
彼女はいくつかのラボを、数年契約のポスドクとして転々とした。給与は常に不安定で、次の所属先が決まるまでの数ヶ月間、失業保険で食い繋いだ時期もあった。そして38歳の時、ようやく現在の私立大学の「任期付き助教」のポストを手に入れた。
「『助教』という肩書がついたときは、正直ホッとしました。これでようやく、親にも『大学の教員になったよ』と少しは顔が立つ。自分の名刺を持って、学生の指導も任されるようになって、私の研究者人生もようやく一歩進んだ、報われ始めたんだと思いました。でも、現実はそんなに甘くありませんでした。そのポストは『5年任期・再任なし』という、最初から終わりが決まっている使い捨ての椅子だったんです」
この移籍を機に、彼女を取り巻く環境はさらに激変した。
それまでは自分の実験だけに没頭し、データを出すことだけを考えていればよかった。しかし、私立大学の助教ともなれば、膨大な授業コマ数、学生の卒業論文・修士論文の面倒見、さらには入試の試験監督やオープンキャンパスの手伝い、各種委員会での書類作成といった「大学運営の雑務」が津波のように押し寄せてきた。
「毎日、朝から夕方まで学生の対応や会議の書類作りに追われ、自分の研究をする時間は、平日の夜間と土日しか残されていません。それでも、次のポストを見つけるためには業績(論文)を出し続けなければならない。睡眠時間をさらに削り、土日も休まず馬車馬のように働き続けて、気づけば40歳を過ぎていました」
ある日、数年ぶりに開催された高校の同窓会に、宇佐美は迷った末に足を運んだ。地元の友人たちが「40歳という節目」を記念して集まるという。そこで受けた衝撃は、彼女の心を根底から揺さぶった。
「周りの友人たちは、みんな結婚して子供がいて、家を建てたとか、子供の中学受験がどうとか、親の介護が始まったとか、そういう話をしていました。彼女たちはもう、人生の次のステージ、そのまた次のステージに進んでいたんです。一方の私は、40歳を過ぎて独身、家は築30年の賃貸アパート、貯金も大してなく、数年後には職を失うかもしれない非正規雇用。その時、猛烈な恐怖が襲ってきました。『私は一体、何のためにすべてを捨てて細胞を弄ってきたんだろう? 顕微鏡の向こうの細胞は増えても、私の人生には何も残っていないじゃないか』って」
同窓会の帰り道、夜風が吹き抜ける駅のホームで一人になった宇佐美は、涙が止まらなくなったという。周囲の人間が当たり前のように手に入れている「生活」や「家族」という土台が、自分には一切ない。その事実が、急に牙を剥いて襲いかかってきたのだ。
焦燥感に駆られ、彼女は一度だけ、大手の結婚相談所に登録を試みた。年齢的にもう後がない、藁をも掴む思いだった。しかし、カウンセリングの席で突きつけられた現実は、学術界のポスト公募よりも残酷なものだった。
「アドバイザーの女性から、プロフィールのシートを見ながら開口一番に言われました。『宇佐美さん、40代前半の女性で、年収は400万円台、しかもあと2年で雇用が切れるかもしれない任期付きの職業というのは、結婚相手を探す男性から見ると非常にリスクが高いです。男性が40代の女性に求めるのは、安定した経済力か、あるいは家庭に専念できる環境ですが、どちらも満たしていません』と。さらに追い打ちをかけるように『研究職の方って、プライドが高くて理屈っぽいので、普通の男性からは敬遠されがちなんですよね』とまで言われました」
彼女は力なく苦笑する。
「それ以上に致命的だったのは、私自身がもう『恋愛の仕方』を完全に忘れてしまっていたことです。20代の、一番感性が豊かで、人と深く関わって傷ついたり許し合ったりする訓練をするべき時期に、私は人間ではなく細胞としか対話していなかった。男性と何を話せばいいのか分からないんです。運良くお見合いが成立して食事に行っても、相手の何気ない一言に対して『その発言の論拠は何ですか?』とか『サンプル数が少なすぎませんか? 普遍的な事実とは言えませんよね』みたいな、研究室のディスカッションのような返しを無意識にやってしまう。もちろん、言い方はもっと穏やかでしたよ。でも、相手の男性が引いていくのが、リアルタイムで目に見えて分かってしまったんです」
数人の男性とお茶や食事を共にしたものの、2回目のデートに繋がることは一度もなかった。交わされる会話のテンポ、世間話の広げ方、どれをとっても彼女は「研究室の外の言語」を話すことができなかった。結局、相談所は3ヶ月で退会した。月々の高額な会費が、薄給の彼女の生活を圧迫したことも理由の一つだった。
「婚活をするにも、精神的な『ゆとり』が必要なんです。でも、今の私にはそれがない。来年、自分がどこの街で生きているかも、職があるかも分からないのに、誰かと家庭を築く未来なんて全く想像できません。結局、私は最初から、誰かの妻や母親になる資格なんてない人間だったんです」
***
宇佐美が現在直面している最も切迫した問題、それは翌年に迫った、現在の私立大学からの雇い止め(契約満了)である。
日本の大学や研究機関では、2013年に施行された改正労働契約法による「10年での無期転換ルール(有期雇用が通算10年を超えた場合、労働者が希望すれば無期雇用に転換しなければならない法律)」を回避するため、あらかじめ雇用上限を「5年」や「10年」と定めて、その直前で研究者を一律に雇い止めるという、脱法的な慣行が横行している。宇佐美の所属する大学も、その悪質なシステムを忠実に運用していた。
「大学側からは、少し前に『契約条項に基づき、次の更新はありませんので、各自で速やかに次の公募を探してください』と事務的なメールが1通届いただけでした。面談すらありません。私たちがどれだけ多くの授業をこなし、夜遅くまで学生の愚痴を聞いてケアし、大学の評価を上げるための論文を書いても、組織にとってはただの『有期雇用のコマ』に過ぎないんです。使い古された遠心機や顕微鏡と同じように、期限が来たら廃棄され、新しい若いコマに取り替えられるだけ」
彼女は今、雑用の合間にラボで自分の実験を続けながら、毎晩のように研究者人材データベースを開き、全国の大学の公募を漁る日々を送っている。パソコンの画面に映る「任期あり」「3年契約」「年俸制」の文字を見るたびに、胸が締め付けられるような動悸がするという。
しかし、43歳という年齢の壁は想像以上に厚く、高い。
「多くの公募には、公に明記されていなくても『35歳以下が望ましい』といった暗黙の年齢制限が存在します。大学側としては、若くて扱いやすく、給与が安くて済む人材が欲しいですから。あるいは、40代の人間を採る公募となると、それは『教授』や『准教授』といった、自身の研究室を主宰できるレベルのPI候補です。でも、私にはそこまでの巨大な業績や、大型の科研費を数千万円単位で引っ張ってきた実績はありません。私がやってきたのは、あくまで巨大な国家プロジェクトの『優秀な兵隊』としての実務仕事、実験を正確に回す役割でしたから」
地方の公立大学の助教や、専門学校の非常勤講師、あるいはバイオベンチャー企業の契約社員の求人にも手当たり次第に応募しているが、書類選考の段階で落とされる日々が続いている。不採用通知のメールが届くたびに、自分のこれまでの人生すべてが否定されたような感覚に陥る。
「しかも、『博士号を持っている40代女性』というのは、一般企業から見ると最も扱いづらくて敬遠したい物件らしいです。専門性が狭すぎて使いどころがないし、プライドが高くて組織のルールに従わなそうに見える。面接に行くと、年下の面接官から『この年齢までずっと大学におられたんですね』と、まるで世間知らずの浮世離れした人間を見るような目をされます。実際は、プライドなんてとっくにドブに捨てて、何でもやりますという心境なんですけどね。でも、その声は届かないんです」
彼女が語る言葉の端々からは、日本のアカデミアが抱える致命的な「システムエラー」と「構造的欠陥」が透けて見える。
国策(大学院重点化計画やポスドク1万人計画)によって大量に生み出された博士たちやロスジェネ世代の研究者は、20代・30代という最もクリエイティブでエネルギーに満ちた時期を、大学や研究機関の安価で優秀な「使い捨ての労働力」として激しく消費された。そして、彼らが40代になり、人生の保障や次のステップを必要とする時期になると、システムは彼らを「自己責任」という言葉と共に、何の後盾もなく社会に放り出す。
「私個人の人生が破滅するのは、私の選択の結果であり、自業自得と言われればそれまでかもしれません」
宇佐美は静かに言った。しかし、その声にはこの日初めて、明確な、抑えきれない怒りのトーンが混じった。
「でもね、国や大学がやっていることは、日本の科学の首を自らしめる自傷行為です。私のような、実験のノウハウや技術、特有の細胞の扱い方を極限まで磨き上げた熟練の研究者が、40代で職を追われ、ピペットを置いて1から事務職や非正規の工場労働を始める。これがどれほどの社会的損失か分かっているのでしょうか。細胞の培養や分化の技術は、マニュアルを読めば誰でも同じようにできるものではありません。職人のような『手の感覚』や『目利き』が必要なんです。私たちがこの業界から消えれば、その貴重な技術やノウハウも一緒に消えていくんですよ。日本からノーベル賞が出なくなるなんて言われていますけど、当たり前です。足元を支える職人研究者を、こうして次々に切り捨てているんですから」
***
宇佐美の所属する理工学部のフロアには、彼女と同じように「5年雇い止め」の恐怖と戦っている有期雇用の教員が数人いる。かつては実験の合間にコーヒーを飲みながら、学術的な議論や冗談を交わし合う仲間だった。しかし、タイムリミットが近づくにつれて、その関係性も歪んでいったという。
「誰もが次のポストを見つけるために必死ですから、周囲の人間全員が『ライバル』に見えてくるんです。新しい公募が出ると、お互いにそれを知っているか探り合いが始まります。誰かがどこかの大学の面接に残ったという噂が流れると、表面上は『おめでとう、頑張って』と言いながらも、みんな目は笑っていないんです。私自身もそうです。同僚の不採用通知を耳にしたとき、最低最悪ですが、心のどこかで『良かった。この状況から抜け出せない人がまだ周りにいる』と安堵してしまいます。そんな自分の醜さに気づいた時、本当に吐き気がしました。このシステムは、人間の尊厳だけでなく、仲間への信頼や優しさまで奪っていくんです」
かつて「再生医療バブル」の最中に、共に徹夜を重ねて頑張ってきた同世代の仲間たちの多くは、すでにアカデミアを去っていった。
ある者は精神を病んで大学に来なくなり、そのまま退職した。またある者は、実家の家業を継ぐために研究を捨てた。40代を過ぎて塾の講師や、理科の非常勤教員として食いつないでいる者もいる。生存競争に勝ち残り、地方の国立大学の「任期なし教授」の椅子を掴み取ったのは、ほんの一握りの、信じられないほどの強運と圧倒的な業績を持った人間だけだった。
「残された私たちは、まるで敗残兵です。しかも、戦いには負けたけれど、どこに行けばいいか分からないから、まだ戦場に残って古い銃を撃ち続けているんです。以前、大学院時代の同期で、大手製薬企業の管理職になっている友人から年賀状が届いたことがあります。そこには、笑顔の家族写真と『マイホームを建てました』という一筆が添えられていました。それを見たとき、私はその年賀状をすぐにゴミ箱に捨ててしまいました。彼と私の何が違ったのだろう、どこで道が分かれてしまったのだろうと、そればかり考えてしまいます。優秀さの違いですか? いいえ、運と、その時の時代の選択だけだったはずです」
彼女はそう言うと、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。氷はすでに溶けきっており、口に運ばれたそれは、ほとんど水のようなコーヒーだっただろう。
彼女たちの世代(ロスジェネ世代の研究者)は、あまりにも「科学の未来」という美しい言葉を信じすぎてしまったのかもしれない。その信仰心が強すぎたがゆえに、自分自身の人生という、最も身近で大切な現実から目を背け続けてしまったに違いない。
「私たちは、国家規模の壮大な『実験』の被験者だったのかもしれません。博士を増やしたらどうなるか、非正規で回したらどうなるかという実験。そしてその実験は、大失敗に終わった。でも、実験を主導したお役人や大学の上層部は、誰も責任を取らない。ただ『想定外だった』『自己責任だ』で片付けられる。残されたのは、人生を狂わされた私たちの死屍累々たる山だけです」
***
インタビューの終盤、喫茶店の店内はすっかり夜の雰囲気に包まれていた。私は彼女に、一つの質問を投げかけた。
「もし、20年前の、大学院に進学するかどうか真剣に迷っていた頃の自分に会えるとしたら、今のお姿で何と言いますか?」
宇佐美は長い沈黙の後、窓の外の暮れなずむ街並みに目を向けた。街行く人々は家路を急ぎ、それぞれの帰るべき温かな我が家へと足を早めている。子どもの学校の支度、夕食の献立、週末の家族の予定。彼らが抱える日常の営みは、彼女にはあまりにも遠い世界の出来事のように見えていた。
「『その研究室のドアを開けるな。今すぐ回れ右をして、普通の就職活動をしろ』って言いますね。どんなに細胞が面白くても、科学に魅了されても、あなたの人生を誰も守ってはくれない。国も、大学も、尊敬していた教授も、みんな最後は手のひらを返してあなたを見捨てる。だから、自分の人生を人質に差し出すような真似は絶対に繰り出すな、と。自分の人生を、生活を、まず第一に大切にしなさい、と伝えます」
そこまで言って、彼女は寂しそうに、しかしどこか少女のような無垢な笑みを浮かべた。
「でもね、そう言いながらも、当時の私がその言葉を聞き入れたとは思えないんです。だって、あの頃の私は本当に、顕微鏡の中で細胞がキラキラと蛍光に光る瞬間を見ることが、何よりの幸せでした。世界中で自分だけが新しい生命の真実を知っている。あの魅力に一度でも取り憑かれてしまったら、もう普通の世界には戻れませんでした。私たちは、『科学』という宗教の、信仰心の厚い哀れな信者だったんです。教祖のために全財産を貢いで破滅する信者と、私は本質的に何も変わりません」
喫茶店を出ると、外の冷たい夜気が私たちを包み込んだ。街灯の光が、彼女の少し丸まった背中を淡く照らしている。彼女はこれから、再び大学のラボに戻るという。明日の実験の準備をしておきたい、とのことだった。
「もう次の職は見つからないかもしれないし、来年は別の仕事をしているかもしれない。けれど、明日からの実験も、きちんと最後までやりたいんです。いつものルーチン作業の延長にあるような、大した実験ではないんですけどね。それでも、きれいにデータを取って、論文の形にして、世界のどこかのデータベースに残したい。それが、私がこの世界に確かに生きていて、すべてを捧げて戦っていたという証拠になるから」
そう言って、小さく一礼した彼女の背中は、駅へと向かう夜の雑雑とした人の波の中に、あっという間に吸い込まれて消えた。
*本連載は、著者が収集した多数の実例や証言を基に再構成したフィクションです。プライバシー保護および個人特定の防止のため、複数のエピソードを統合し、固有名詞の変更を含めた大幅な脚色を施しています。実在の特定の人物や組織を指すものではありません。

