生成AIが書いたバイオ系短編小説集



生成AIが書いたバイオ系短編小説集

引き継ぎ資料

四十三歳の誕生日に、雇止めの通知を受け取った。

正式には「次期契約を更新しない旨の通知書」という。A4の紙一枚で、明朝体の文字が十一行並んでいた。来年三月三十一日をもって契約期間満了とする。理由の欄には「プロジェクト終了のため」と書かれていた。

プロジェクトは終わらない。来年度の予算も、すでについている。終わるのは私の契約のほうだった。

私が特任研究員としてこの大学に雇われたのは、二〇一七年の四月だ。それから一年ごとに契約を更新して、九年半が経った。来年の三月で、通算ちょうど十年になる。十年を超えて雇われた研究者は、無期雇用への転換を申し込めるという法律の決まりがある。だから大学は、その手前で契約を切る。

この大学では珍しいことではない。三年前の春には、同じ建物だけで十一人が同じ理由で去った。私は送別会の幹事を二回やった。

通知書は、人事課の宮下さんが研究室まで届けに来た。

「本来は郵送なんですが、佐伯先生には直接お渡ししたほうがいいと思いまして」

宮下さんは五十八歳だった。白髪を短く刈っていて、紺色のカーディガンを着ていた。彼は通知書を両手で差し出し、私が受け取るのを見届けてから頭を下げた。下げていた時間は、ちょうど三秒だった。

先生と呼ばれたのは久しぶりだった。高木教授は私を「佐伯君」と呼ぶ。学生たちは「佐伯さん」と呼ぶ。この大学で私を先生と呼ぶのは、私を切る人だけだった。

宮下さんが帰ったあと、私は通知書を二つに折って、机の一番上の引き出しにしまった。それから午後の測定データの整理に戻った。手が震えるようなことはなかった。そのことに、私は少しだけ驚いた。

*

私の机は、理学部三号館四階の特任研究員室にある。窓際の、一番奥の席だ。

部屋には机が六つあって、いつも四つか五つが埋まっている。座っている人は、二、三年ごとに入れ替わる。入れ替わるときに、たいていの人は挨拶をしない。ある月曜日に机が空になっていて、それで終わりだ。

窓際の席に移ったのは六年前のことだ。それまでは入口の近くに座っていた。窓際にいた野々村さんという人が、二〇二〇年の三月に急にいなくなり、席が空いた。窓際は夏に暑くて冬に寒い。だから誰も欲しがらなかった。私は、窓の外が見えるならそれでいいと思った。

窓からは、隣の二号館の壁が見える。壁までの距離は八メートルくらいある。空はほとんど見えない。

誕生日の夜、私は机の引き出しを整理することにした。契約が切れるまで、まだ五ヶ月ある。それでも、何かを片づけておきたい気分だった。

引き出しからは、私の物ではない物がたくさん出てきた。

一番上の段からは、二〇〇三年の物理学会の講演概要集が出てきた。持ち主の名前は書かれていなかった。その下から、誰かの実験ノートが三冊出てきた。表紙に「K.」とだけ書かれていて、最後のページの日付は二〇〇八年の二月だった。中段からは、使いかけの付箋と、錆びたクリップと、二〇一一年の学食の回数券が出てきた。回数券は二枚残っていた。

研究室という場所には、去った人の物が地層のように積もっていく。誰も捨てない。捨てていいのかどうか、誰にも判断できないからだ。

一番下の引き出しの奥に、煎餅の空き缶があった。

四角い缶で、蓋には油性マジックで「引き継ぎ資料」と書かれていた。字は少しかすれていた。

缶の存在は、席を移った最初の年から知っていた。それでも、一度も開けたことがなかった。着任したばかりの特任に、前任者の引き継ぎ資料を読む暇はない。読む暇ができる頃には、もう誰が前任者だったのかも分からなくなっている。

蓋は固かった。両手の親指で押し上げると、乾いた音がして開いた。

中には、干からびた小さな手と、大学ノートが一冊入っていた。

手は、猿のものらしかった。大きさは私の手のひらの半分くらいで、黒く縮んで、表面は古い革のように硬かった。指は五本あった。そのうち三本が、内側に深く折れ曲がっていた。残りの二本は、まっすぐ伸びていた。

缶の中の空気は、部屋の空気より少しだけ温かいような気がした。たぶん、引き出しの奥が暖房の配管に近いせいだろうと思った。

ノートは、どこの生協でも売っている青い表紙のものだった。表紙には「使用記録簿」と書かれていた。

共用の実験機器の横に紐でぶら下がっている、あのノートと同じだった。中には定規で罫線が引かれていて、日付、氏名、用途、備考の四つの欄が作られていた。

一ページ目の上の余白には、几帳面な字でこう書かれていた。

 この机を使う人へ。
  指一本につき、願いが一つ叶います。一人一本まで。
  使ったら、必ず記録すること。

その下の欄に、三行の記録があった。

 1999.11.02 宮下  正規の職に就けますように
  2006.03.17 久保田 研究を、いつまでも続けられますように
  2019.05.20 野々村 俺たちの世代を救ってくれ

備考の欄は、三行とも空白だった。

ノートを裏返してみた。表紙の内側の綴じ目のところに、破り取られたページの切れ端が、薄く何枚分か残っていた。切れ端の一枚に、数字の一部が読み取れた。「19」と書いてあった。その後に続く数字は、破れて消えていた。

私はしばらく、ノートを眺めていた。

宮下という名前を、私はその日の昼に聞いていた。野々村は、六年前にこの席からいなくなった人の名前だった。

私はノートと手を缶に戻し、蓋を閉めて、引き出しの奥にしまった。その夜は、データの整理はしなかった。午前一時に部屋の電気を消した。廊下の非常灯が、緑色に光っていた。

*

翌日の昼休み、本部棟の二階にある人事課に行った。

窓口で名前を言うと、奥の席から宮下さんが立ち上がった。私が抱えている煎餅の缶を見て、彼の動きが一瞬だけ止まった。それから、窓口の横にある衝立の向こうへ私を案内した。

衝立の向こうには、小さなテーブルと椅子が二脚あった。テーブルの上には、ティッシュの箱が置いてあった。ここでどういう話がされるのか、それで分かった。

缶を開けてノートを見せると、宮下さんは老眼鏡をかけて、一行目を長いあいだ見ていた。

「まだあったんですね」

彼は言った。驚いているようには聞こえなかった。

一九九九年、宮下さんは三十一歳の博士研究員で、あの窓際の机を使っていた。専門は物性物理で、低温での電気伝導を測っていたという。任期が切れる年の秋だった。

「公募には、二十いくつ出していました。全部落ちました。あの頃は、どこもそうでした。一つのポストに百人が応募するのが普通でしたから」

「ノートの一ページ目は、宮下さんが書いたんですか」

「いいえ。私が缶を開けたときには、もう書いてありました。誰が始めたのかは知りません。前のページは、私が開けたときにはもう破られていました」

彼は人差し指で、綴じ目の切れ端をそっと撫でた。

願いを口にした二週間後に、大学が事務職員の社会人採用を始めると発表した。その年が初めての募集だった。宮下さんは試験を受けて、受かった。

「正規の職です。嘘は一つもありません。ボーナスも出ますし、退職金もあります。家も買えました」

彼は膝の上で指を組んだ。指の関節が、少し白くなっていた。

「最初の五年は会計課にいました。そのあとで人事課に移って、二十年になります。担当は、ずっと有期雇用の契約です」

「通知書を作る仕事ですか」

「作って、決裁を回して、お渡しする仕事です。一年に四十通くらいでしょうか。全部、控えを取ってあります」

彼は、自分の席のほうを振り返った。机の脇に灰色のキャビネットがあって、一番下の段だけに鍵がかかっていた。

「研究者を辞めさせる書類を、研究者だった人間が作っているわけです。あの手は、うまいことやるんですよ」

怒っているようには聞こえなかった。面白がっているようにも聞こえなかった。明日の天気について話すときのような口調だった。

「宮下さんは、本当は何を願いたかったんですか」

彼は少し考えてから答えた。

「研究を続けたかったんだと思います。でも、口に出したのは、正規の職のほうでした。そっちのほうが、切実でしたから」

それから彼は老眼鏡を外し、ハンカチでレンズを拭いた。

「佐伯先生。もし使うなら、言葉を選んでください。あれは、言ったことしか叶えません。思ったことは、叶えない」

「使うつもりはありません」

「みなさん、最初はそうおっしゃいます」

彼はノートを閉じて、私のほうへ押し返した。

「缶は、ちゃんと元の場所に戻しておいてください。引き継ぎ資料ですから」

立ち上がりかけてから、彼はもう一言つけ加えた。

「人事課の机にも、引き出しはありますよ」

それが何を意味するのか、私は訊かなかった。彼も説明しなかった。

*

久保田さんは、今も同じ建物の中にいる。

三号館二階の測定室の奥で、二十年近く、同じ装置の前に座っている女性だ。年は六十を過ぎているはずだった。学生たちは「久保田さん」と呼んでいる。誰の研究室に所属しているのかを、正確に知っている人はいない。私も知らなかった。

測定室のドアを開けると、液体窒素の匂いがした。装置は古い型で、メーカーのサポートは十年前に終わっている。久保田さんは、壊れた部品を自分で直して使い続けていた。

ノートを見せると、彼女は眼鏡をずらして自分の字を眺め、懐かしいわね、と言った。

「二〇〇六年。私、四十三だったの」

今の私と同じ年だった。

「任期が切れる春だった。この装置にもう触れなくなると思ったら、たまらなくてね」

願いを口にしてから、彼女の契約は一年ずつ延長されていった。プロジェクトが終わると、別のプロジェクトが始まった。所属している研究室の教授が退職すると、別の研究室に籍が移った。給料の出どころの予算が変わっても、なぜか契約は延長された。

三年前の春、研究者の雇用が通算十年を迎えるあの年に、全国の大学で大勢が雇止めになった。この建物からも十一人が去った。その年に、彼女だけが無期雇用に転換された。

「いつまでも、よ」

彼女は言った。

「肩書きは特任研究員のまま。昇給もないし、学生もつかない。自分の名前で論文を出すこともない。誰かの論文の謝辞のところに、名前が載るの。測定協力、久保田、って」

彼女は装置の画面を指さした。緑色の線が、ゆっくりと右下に下がっていた。

「今は、ガラスの緩和を測ってるの。温度を急に下げて、物質が落ち着いていくのを見ていくのよ。ふつうは何日かで平衡に達するんだけど、これは達しないの。もう十一年、測ってる」

「十一年ですか」

「少しずつ、少しずつ、下がっていくの。終わりがない。終わらない測定って、いいものよ」

彼女は笑った。

不幸そうには見えなかった。私には、それが一番、落ち着かなかった。

帰り際、彼女は画面から目を離さないまま言った。

「佐伯くん。あなたは研究を続けたいの? それとも、研究者でいたいの?」

私は答えなかった。答えを持っていなかったからだ。

測定室のドアを閉めるとき、もう一度振り返った。久保田さんは、さっきと同じ姿勢のまま画面を見ていた。緑色の線は、さっきと同じ位置にあるように見えた。

*

野々村さんとは、SNSで連絡がついた。夜勤明けなら会える、という返事だった。

指定されたのは、郊外の駅前にある牛丼屋で、時間は朝の六時だった。私は始発に乗って、二回乗り換えた。

野々村さんは、灰色の作業着を着てカウンターの端に座っていた。四十八歳だと言った。私が知っている六年前の彼より、少し痩せていた。今は物流倉庫で、夜間の仕分けラインの管理をしているという。

ノートを見せると、彼は鼻で笑った。

「ああ、あれな。叶ったよ」

二〇一九年の五月に、彼はあの窓際の机で、三本目の指を折った。

翌月に、政府が経済財政運営の基本方針を発表した。その中に「就職氷河期世代支援プログラム」が盛り込まれていた。三年間で、正規雇用で働く人を三十万人増やすという目標がついていた。

「世代は救われたんだよ。少なくとも、統計の上ではな。俺がその三十万人の中に入っていなかったっていうだけで」

その年、関西のある市役所が、氷河期世代に限定した職員の募集をした。わずか数人の枠に、千人を超える人が応募した。野々村さんも、その一人だった。

「一次試験で落ちた。会場に行ったら、体育館がいっぱいでさ。みんな同じくらいの年で、同じような顔をしてた。あの日、俺は自分の世代の顔を初めてまとめて見たよ」

彼は紅しょうがを牛丼の上に山盛りにした。

「主語が大きすぎたんだ。あれに頼むなら、主語は小さくしておけ。自分の名前くらいにな」

「どうして、大学を辞めたんですか」

「辞めたんじゃない。席がなくなっただけだよ。次の年の三月に契約が切れて、それっきりだ」

彼は牛丼を半分ほど食べたところで、箸を置いた。

「倉庫に、ずっと回ってる箱が一つあるんだ」

「箱、ですか」

「宛先のラベルがかすれて読めない箱。読めないから、どこにも届けられない。でも、誰かが送った荷物だから捨てるわけにもいかない。だから毎晩、ラインに戻すんだ。仕分け機が読み取ろうとして、読めなくて、またラインの最初に戻ってくる。もう二年くらい回ってるよ」

彼は残りを一気に食べた。

「でも、まあ、悪くないよ。倉庫の仕事は、やったことがちゃんと終わる。荷物は、届くからな。論文と違って」

店を出ると、朝日が低い角度で差していた。彼は自転車の鍵を外しながら、振り向かずに言った。

「あの席、寒いだろ」

「冬は寒いです」

「夏も寒いんだよ、あそこは」

彼は自転車をこいで帰っていった。私は駅のホームで、次の電車を十二分待った。

*

十月の終わりに、高木教授に呼ばれた。

「佐伯君、隣の講座の助教公募、最終選考に残ったよ」

自分が応募していたことを、私は半分忘れていた。この九年半で出した公募は、六十四件になる。不採用の通知が来るものと、何も来ないものが、ちょうど半分ずつだった。

「任期なしの助教だ。もう一人は篠原君だよ。知ってるだろう」

知っていた。

私が博士研究員になったばかりの頃、篠原は修士一年の学生だった。私が実験のやり方を教えた。ピペットの持ち方から、データの捨て方まで。データの捨て方を教えるのは難しい。どれを捨ててはいけないかを先に教えなければならないからだ。篠原は、それを一度で覚えた。

今の篠原は三十二歳だった。日本学術振興会の特別研究員の任期が、来年の三月で切れる。論文の数も質も、正直に言えば私より上だった。

隣の講座の助教のポストは、今年の六月に空いた。前の助教だった森下さんが、一身上の都合で急に辞めたからだ。森下さんは三十九歳で、着任してまだ四年目だった。送別会は開かれなかった。挨拶もなかった。ある月曜日に、部屋が空になっていた。

助教室のドアには、まだ森下さんの名札がかかったままになっていた。

その週の金曜に、篠原と駅前の居酒屋で飲んだ。最終選考の話は、どちらからともなく避けていた。

三杯目のハイボールを飲み終えたところで、篠原が言った。

「俺、もし今回だめでも、どこかで粘りますよ。佐伯さんみたいに」

尊敬の言葉だった。少なくとも、篠原はそういうつもりで言っていた。私には、それが分かった。分かったから、何も言えなかった。

店を出ると、雨が降り出していた。篠原は傘を持っていなかったので、駅まで私の傘に入れた。肩が濡れた。篠原の肩も濡れていた。

*

十一月九日の夜も、雨だった。

研究室には、もう誰もいなかった。廊下の非常灯が、緑色に光っていた。

私は一番下の引き出しから缶を出し、机の上で蓋を開けた。猿の手とノートを並べて置いた。

言ったことしか叶わない。思ったことは叶わない。主語は小さく。

私はそれを、何度も頭の中で繰り返した。

「公募に通りますように」と言えば、篠原が落ちる。それだけで済むとは思えなかった。この手は、願いを端から端まで正確に叶える。宮下さんも、久保田さんも、野々村さんも、口にしたとおりのものを受け取った。誰も、それ以上のものも、それ以下のものも受け取っていない。

では、私は何を言えばいいのか。

篠原の顔が浮かんだ。佐伯さんみたいに。四十三歳で、雇止めの通知を引き出しの一番上にしまって、それでもまだ論文を書いている男みたいに。

窓の外では、雨が二号館の壁を流れ落ちていた。

私は、四本目の指に手をかけた。指は思ったより柔らかかった。少し力を入れると、関節のところで抵抗がなくなった。

「篠原が、私のようになりませんように」

乾いた音がした。

私は、それを篠原のための願いだと思っていた。少なくとも、そう思おうとしていた。

ノートを開いて、四行目に記録をつけた。日付と、名前と、用途。備考の欄は空けておいた。

缶を引き出しに戻して、部屋の電気を消した。その夜はよく眠れた。久しぶりに、夢を見なかった。

*

二週間後に、篠原が研究室に来た。

「佐伯さん。俺、公募を辞退しました」

素材メーカーの研究所から、内定が出たのだという。前から声はかかっていたが、ずっと断っていた。それを急に受ける気になった、と篠原は言った。

「佐伯さんを見ていて、決めたんです。あ、変な意味じゃなくて」

変な意味じゃないと言う人は、たいてい変な意味で言っている。篠原は正直な男だった。

「佐伯さんみたいになるのが、怖くなったんです。すみません」

彼は深く頭を下げた。下げていた時間は、宮下さんより長かった。

私は何か言った気がする。でも、何を言ったのかは覚えていない。おめでとう、だったかもしれない。

篠原は顔を上げると、少し笑った。

「決めた日の夜、すごくよく眠れたんですよ。何年ぶりかってくらい」

それは、十一月九日の夜だった。

翌日、高木教授に呼ばれた。

「篠原君が辞退したよ。君で行くことになった。よかったな、佐伯君」

教授は、最後まで私を君と呼んだ。

願いは叶った。篠原は、私のようにはならない。そして私は、四十三歳で任期のない助教になった。

言ったことしか叶わない。思ったことは叶わない。

では、口に出さなかったけれど、ずっと思っていたことは、どうなるのだろう。

あれほど言葉を選んだ私に、この結末が見えていなかったはずがあるだろうか。私は何度もそれを考えた。考えても、答えは出なかった。答えが出ないように考えているのかもしれない、とも思った。そう思ったところで、考えるのをやめた。

十二月に、宮下さんから採用の書類が届いた。今度は郵送だった。封筒の宛名は「佐伯健一 先生」となっていた。

雇止めの通知書は、人事課が回収していった。控えは取ってあるはずだ。灰色のキャビネットの、鍵のかかった一番下の段に。

*

年が明けて、私は一度だけ久保田さんの測定室をのぞいた。

彼女は、前と同じ姿勢で画面を見ていた。緑色の線は、前よりほんの少しだけ下がっているように見えた。

「おめでとう」

彼女は振り向かずに言った。

「どうして知ってるんですか」

「この建物で起きることは、だいたい知ってるのよ。いつまでも、いるから」

私は礼を言って、ドアを閉めた。

二月には、野々村さんにメッセージを送った。返事は来なかった。既読の印だけがついた。

*

四月一日、私は三階の助教室に移った。

森下さんの名札は、事務の人がいつの間にか外していた。ドアには、私の名前の新しい名札がかかっていた。

窓際の机には、新しい特任研究員が来た。西田さんという、二十九歳の女性だった。博士号を取ったばかりで、契約は一年ごとの更新だという。

着任の挨拶の日、彼女は少し緊張した顔で言った。

「佐伯先生のこと、ずっと存じ上げてました。氷河期世代で、ずっと粘って、最後に任期なしのポストを取った人がいるって。私、先生みたいになりたいんです」

私は笑って、ありがとう、と言った。

その前の晩、私は特任研究員室で最後の荷物をまとめていた。そのついでに、ノートの空いていた備考欄を埋めた。

 1999.11.02 宮下  正規の職に就けますように      備考:人事課
  2006.03.17 久保田 研究を、いつまでも続けられますように 備考:無期転換
  2019.05.20 野々村 俺たちの世代を救ってくれ       備考:統計上は
  2026.11.09 佐伯  篠原が、私のようになりませんように  備考:

自分の備考欄だけは、何を書けばいいのか分からなかった。

缶は、一番下の引き出しの奥に戻しておいた。最後の一本の指は、まだまっすぐ伸びていた。

荷物を運び終えたところで、西田さんが訊いた。

「あの、前の方からの引き継ぎ資料って、何かありますか」

「特にないよ。前の人の物が残ってるかもしれないけど、いらなかったら適当に捨てていいから」

彼女は、はい、と言った。

私はあの缶を、六年間開けなかった。

彼女は何年、開けずにいられるだろう。


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