レポート課題:「科学コミュニケーター」とは?



第1回(更新日:2014年07月11日)

レポート課題への調査「科学コミュニケーションの定義 -歴史編-」

おひさしぶりです、こんにちは。遅くなってしまってすみません><
AIです。

今回から本格的に連載を始めていきます。
twitter(@AI_sc10)も既に稼働しておりますので、是非とも興味のある方はこれを読まれた後、感想やご指摘などして頂けると嬉しいです。

これから1年、科学コミュニケーションについて書いていくわけですが、
そもそも「科学コミュニケーションって何?定義って何?」ってことを考えて行かなければいけませんよね。

簡単に言ってしまうと
「科学技術の専門家と社会(非専門家)の橋渡しをする双方向の活動」
と言えます。

うーん、なんじゃそりゃ(・∀・)

そう、「よくわからない!」のです。

しかし、そんな「よくわからないもの」をもうちょっと深く考えられるように、定義ってなに?って言われたら自分なりの答えが出せるようにしないとな、と授業を聴いていて思いました。

その結論=レポート課題
に答えるために今回はその下調べ、授業で勉強したことについてまとめていきたいと思います。
結構大事なところだと思うので、(講義を受けながら、多分ここが結構ポイントだよなと思ったわけです。)数回に渡って下調べの結果、そして結論として書いていこうと思います。

みなさんに私の勉強したことを少しでも正しくお伝えできるように、数回に分けて書いていきます。

まず、科学コミュニケーションの歴史について追いかけてみましょう。

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イギリスの場合

王立研究所
1799年〜 研究活動、啓蒙活動
若者を対象とした実験を含んだ科学イベントが行われる
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なんでイギリスの話なんだよ、というのは置いておきましょう。(きっと講義をした先生が好きだったんでしょう、きっと。)

ふむふむ、この「実験を含んだイベント」というのは最近の言い方をすると「サイエンスカフェ」みたいなものでしょう。そう思うと随分昔からサイエンスコミュニケーションについて実戦されていたんですね。そう思うとイギリスすごいなぁ。

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1959年
C.P.スノー
西洋社会の知的営み全体を俯瞰すると、これが「科学」と「人文学」というふたつの分化に分断されていることが分かる。そして、この分断が、世界の諸問題の解決にとって大きな障害となっている。
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これは実際には「人文学の研究してる人達、自分たちのことばっかりで他のことを知ろうとしないよね!!」という意味合いが強かったようです。しかし、今問題となっている専門家と非専門家との間の溝を指摘している点では非常に最先端だったんだろうなと思います。

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1985年
公衆の科学理解委員会
 多様な社会階層を対象にした様々なプログラムを展開
 上層の公務員向け、女性向け
 サイエンスの書籍に関しての顕彰を実施
 地域密着型の科学普及活動への資金提供
 大学院で科学コミュニケーションの専門家の養成を開始
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1985年から大きく科学コミュニケーションに関して動き出した感じがしますね。
今現在、日本で行われているようなサイエンスカフェや子供向けの活動に非常に似ている気がします。

しかし、ここで大きな問題が起きてしまいます。

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BSE問題(牛海綿状脳症 Bovine Spongiform Encephalopathy)
1990年前後に発生
 オックスフォード大学の専門家委員会は
 「人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ない」
 「更なる研究が不可欠」
 「こうした評価が誤っていれば結果は大変深刻なものになるであろう」
 と安全性と危険性を同時に警告
 しかし行政関係者や政治家は安全性を強調し、警告を適切に評価しなかった。
 1996年 クロイツフェルト・ヤコブ病患者10名について、
 BSE感染牛を食べたことが原因で発症した可能性を認めた
 その結果、国民は政府や政府機関に所属する科学者に対して強い不信感を抱くように
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このBSE問題が発生したことによってこれまで進めてきた「国民に科学について知ってもらおう」という公衆理解増進から不信感を取り除くことに転換をせざるを得なくなってしまいました。

ただ理解を増進するだけじゃダメだ、と単に「科学の公衆理解の不足が問題である」という認識自体を変えて行かなければならないのでは・・・?とイギリスの科学コミュニケーションの方向性が考えられ始めるんですね。

これが欠如モデル(deficit model)批判です。

欠如モデルとは簡単に表すとこんな感じです。

とりあえず、ぽいぽいっと空の箱に知識を詰め込んだら、それで専門家と一般の人の差がなくなるよね!!!という非常に楽観的な考え方です。

でも、それじゃ問題解決できないでしょ。公衆は公衆なりの文脈で独自の知識を持っているんじゃないの?
というのが、この欠如モデル批判から生まれた

文脈(context)モデル素人の専門性(Lay-expertise)モデルです。

一般の人々は各々の生活環境において状況特異的、文脈依存的な知識を持っている。いわゆる文化人類学や民俗学で分類されるローカルノレッジ(local knowledge)と呼ばれるものとほぼ等しいものをちゃんと持ち合わせている。

こんな批判が出てきたことから、イギリスでは科学コミュニケーションについて「どうやって政策を行って行くか」が少しずつ方向性を変えられて行ったようです。

かなり昔から科学コミュニケーションについて国レベルで政策が行われていたイギリスでさえ、いまだ試行錯誤が行われているんですね。

うーん、歴史は深い( 'ω')

そんな感じでイギリスの歴史についてさくっと見て行きましたが、みなさんちょっとは科学コミュニケーションの歴史分かって頂けましたでしょうか?

\分かったー!多分!/

・・・(゚Д゚) 多分?

これから1年、くまくんには色々皆さんへのレポート課題のお手伝いをしてもらおうと思っています。私が大学生の頃から、ノートのすみで私に「これ、テストに出る!」とかを教えてくれていたくまくんです。(決して某くまキャラとは違います。似てますど、ね。)みなさん、仲良くしてあげてください。

ではでは、次回は科学コミュニケーションが日本に導入されていった経緯、歴史を見てきましょう。

何か感想や、読みにくかった!などなどあれば、どしどしtwitter(@AI_sc10)まで!
ではでは、AIでした。

次回はまた、すぐに・(エ)・

執筆者:AI
(@AI_sc10)

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