研究者の声:オピニオン



2021年5月21日更新

ある還暦データサイエンティストからの告発 〜私の博士号の学位はアカハラにより露と消えた〜

日本の大学・大学院の教育レベルや研究レベルは年々低下していっていると言われている。また、近年になり大学・大学院でのアカハラ問題も頻繁に取りざたされている。

私は2006年4月から2013年3月までの6年間、A大学の社会人博士課程に在籍していた。博士号の学位を取得することはできず、最終的には学費未納を理由とした除籍処分となってしまった。何が起きたのか。私の身に降りかかった問題について、以下にこれまでの顛末を記述したいと思う。

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「貴方の専門のバイオインフォマティクスではないけれども、私の出身のA大学の某研究科で学位をとってみませんか?」とTT教授から勧められたことが事の発端であった。

当時、私は製薬企業で勤務していたが、縁あって2005年に開学したIT系の専門職大学院大学の非常勤講師として同校の教鞭をとっており、そこでA大学を定年退官されたTT教授と出会った。TT教授は、私が博士号の学位をとるために社会人博士課程に入学することを検討していることを知り、懇意にしていたA大学の故TS教授(当時は存命)と相談し、私の学位取得の話を進めてくださった。故TS教授からも、私の自宅に直接願書を郵送していただく等、「貴方の実績があれば正規の就学期間を短縮することも可能です。」とA大学の社会人博士課程入学を熱心に勧めてくださった。

ただ、正直なところ、A大学の某研究科での研究内容は私の専門とはかなり異なっており、学位取得は他大学の先生のお世話になることを検討していた。しかし、そこまで話が進んでしまっているのであればと、悩んだ末に両教授の申し出を受けることにした。ただし、故TS教授は数年後に定年退官することが決まっていたため、A大学での私への研究指導については同講座の准教授が担当することになった。

製薬企業で機械学習による遺伝子解析などを行っていた私は、A大学では質量分析器により生体内の代謝物の変動を研究するメタボローム解析に取り組み、その当時はまだあまり知られていないランダムフォレスト(RF)を活用することを試みた。それまでのメタボローム解析では、質量分析データを主成分分析(PCA)してスコアプロットで投与群と非投与群を判別し、ローディングプロットからバイオマーカーを推定した後に部分的最小二乗判別分析(PLS-DA)で予測モデルを構築するといった手法が一般的であった。PCAは教師なし学習で、PLS-DAは教師あり学習であるが、RFは両方可能なのでさまざまな比較ができるのではないかと私は考えた。その結果、RFはPCAに比べ投与群の質量分析データを敏感に判別でき、重要度により評価された合理性あるバイオマーカーが選抜できた。私の解析手法は当時の勤務先の製薬企業でも高く評価され、海外の大学でも新しいアプローチだとして注目を受けていた。

その当時、RFによる動物メタボローム解析の論文は発表されておらず、故TS教授からは速やかに論文を投稿することを勧められた。A大学から論文投稿をするためには勤務先の製薬企業での申請が必要であったので、それを済ませてから論文作成に着手した。このとき、故TS教授が急性の心疾患で逝去され心を痛めたが、当初から私への研究指導は同講座の准教授が行うということになっていたので、予定どおりに論文作成は准教授の指導を仰ぎながら行うことにした。

故TS教授への恩返しの気持ちもあり、私は早く論文を完成させたかった。だが、はやる気持ちとは正反対に、論文作成は遅々として進まなかった。原稿ドラフトを用意したものの、論文としての英文や展開に問題があるとして、准教授からは何度も修正を求められた。だが、その回数が重なるごとに、准教授が求める再修正の原因は英文や論理展開とは違うところにあるのではないかとの疑念が私の中で強くなっていった。何度やり取りをしても、准教授とは統計に関する部分での合意が得られなかったのだ。

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月日はまたたく間に過ぎ、論文作成を開始してから早2年が経過した。その頃、当時の勤務先(製薬企業)の同僚であるTR氏に私の論文原稿の内容について相談をした。彼は、私が機械学習を始めるきっかけを作ってくれた研究者で、論文博士として学位を取得していた。彼は私の論文原稿を一読して、この内容であればイントロダクションのパートをきちんと書ければ、いずれかの雑誌には論文が採択されるだろうとコメントしてくれた。また、A大学でのこれまでの経緯を話すと、そこで学位をとるのは難しいので他大学にお願いした方がいいのでは?とも言ってくれた。だが、私には様々なしがらみがあり、その後もA大学の某研究科での社会人博士課程を続けることを余儀なくされた。

結局、私の論文原稿に准教授が納得することはなかった。あるときは、英語で論文を書く前の段階として、日本語で論文原稿(ドラフト)を書くことを提案してきたこともあった。その指示に従い日本語で原稿を用意したのだが、日本語原稿では問題はないとされた内容にも関わらず、英語にした途端に准教授からは否定的な反応が返ってきた。この作業を二度繰り返したがどちらも同じ結論であった。かといって、私の英語力に問題があったわけではなかったようだ。なぜなら、准教授は私の原稿に納得できない点として、PCAとRFで変数選抜の仕方が異なることが挙げたからだ。RFは弱分類器のアンサンブルになるので、多くの変数を選抜することになり、そこが論理の「穴」となりRFの優位性は示せないと主張してきた。そこで、RFに代えてLASSOによる変数選抜で論文を仕上げたいと私は提案した。LASSOによるメタボローム解析の報告は当時まだなかったと思ったのだが、准教授はRFで論文を完成させるところまであと一歩なので承諾できないと却下した。その後、当時考えうる方策はすべて行ったが進展はなく、私の社会人博士課程の在籍年数は、休学期間を含めて6年が過ぎようとしていた。

最終的に准教授は、A大学での私の在籍年数をこれ以上は伸ばすことはできないとし、暗に退学を勧めてきた。さらに、退学後一年以内に論文がアクセプトされないと学位取得もできないとも言った。しかし、私の論文作成は、数年がかりでも何の進展もなかったことから、A大学での私の学位取得の実現は遠いと思われた。とても残念ではあったが、博士課程に在籍したからと言って学位がとれるとは限らないことは承知していたので、自分としては頑張ったけれど指導教員(准教授)との二人三脚は結実しなかったなと思い、A大学での学位取得は諦め年度末での退学を決意した。

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ところが、退学をしたはずなのにいつまで経っても大学からは退学通知書が来ない。おかしいなと思っていたころ、年度明けの4月に入りA大学から郵便物が届いた。開封して中身を確認すると、それは学費未納の学費督促状だった。件の准教授に照会すると「貴方はさらにお金を払って指導を受ける必要がある。」との返信が来た。私は「年度末の話で退学処理にすると聞いた。最早学費を工面できない。」と答えると、そのまま学費を支払わず退学になるのを待てとの回答が戻ってきた。

とはいえ、それは大学の正式な手続きを踏んだ退学ではないので、当然何度も学務より学費を支払うようにとの督促があった。実家の母にまで請求書が送られてきたこともあった(自分は成人して家庭を持っているというのに!)。その後、最終的には学費未納ということで私はA大学からは除籍処分になった。

在学中も納得できないことだらけだったが、学費未納での除籍処分のゴタゴタを経て、改めて准教授の対応はおかしいとの確信に至り、ここにきてようやく同大学に勤務する知己の別の准教授に相談することになった(今にして思えばもっと早く相談すればよかったのだが)。

彼はたまたまA大学のコンプライアンス担当で、本案件は大学のコンプライアンスに諮る意義があると言及したため、大学のコンプライアンス担当理事へ訴求した。訴求の内容は@指導教員(准教授)の指導にはスキルの点で問題があったのではないか?A私が勤務していた製薬企業との共同研究に対して指導教員が何もしなかったのはコンプライアンス的に問題ではないのか?B指導教員が学生の解析を訴求者(私)に丸投げしたのは教育上問題ではないのか?C訴求者が学位をとれずに除籍処分に至った理由の合理的説明を求めたい。であった。

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さて、少し時系列はさかのぼるが、社会人博士課程在籍時の私と准教授の関係性を簡単にまとめたい。

1) 准教授は私のデータサイエンスのアプローチは一般には到底受け入れられないとしながらも、同様の方法論をもって毎年学生の卒業研究の解析を私にさせた(卒業研究に使うのは問題がないとした)。しかし、私が行っていた解析処理内容は学生も准教授も理解しておらず、これでは誰の研究かわからなかったため、件の准教授は研究指導者どころか教育者としても一定の水準を満たしていないのではないか?との疑問が常に私の頭にはあった。

2) 解析データはいつも私に丸投げされていて、それの素性についての記載はなかった。データセットは欠損値や重複だらけであった。教師あり機械学習からの変数選抜はどのようにエンドポイントを定めるかで話が全く変わってくるが、そこが示されていなかったのだ。准教授は私からの照会にも応答をしなかったので、それらパラメータを適当に決め打ちして解析した結果を返すと、それをそのまま学生の研究結果として卒業論文の図表とした。階層クラスタリングでは、距離の計算手法と、結合アルゴリズムが非常に重要な意味を示すが、准教授はその点についても意に介さずという始末であった。

3) 何より准教授の学ぶ姿勢には問題があると思われた。研究はデータの解析を行ってその結果を議論し合理性を判断するという過程を経る(と少なくとも私は思っている)が、准教授は解析がうまくできないとして頻繁に私からのサポート・ヘルプを要求した。先にも述べたように、うまく解析できないのは欠損値やデータの重複といった問題に由来するものが殆どであった。また、遺伝子 x サンプルの行列が与えられたとして、行と列をごっちゃにするという極めて初歩的なミスさえもあった。本来であれば、このようなミスは学生を指導する立場の人間が犯してはならないものであるはずだが、准教授は行列がごっちゃになったデータを解析できるほうがおかしく、それができる私は単にソフトウェアの使い方に長けているだけと断言した。それだけでなく、准教授からは「あなたは学生なので手取り足取り教員に教える義務がある。」とも言われていた。

4) RFによる変数選抜が自身でうまくできないと相談が准教授からあったときも、不可思議なやり取りが行われた。エラーが出たという結果だけ言われても私も原因がわからないので、解析に使ったデータを照会したいと伝えたのだが返答がなかった。しかし、しばらくして准教授より回答の督促があったので、解析に使ったデータを見なければ判断できないことを再度伝えたところ、ようやく元データが送られてきた。中身を見たら正例1負例5からなる小さなサンプルデータであった。これではうまく解析できるわけではない。私は「論文の中で記述していた交差検証を参照すれば解決します。」と回答したが、准教授には理解ができなかったようだ。つまり、正例が1つしかなければ、そのデータをテストセットとして選択した場合、残りは負例だけになり正負の予測モデルはできなくなる。最長でも6回実施すればそのことに気が付くはずである。つまり准教授には端から本研究の指導スキルはなかったということであったのだ。

5) A大学の同講座は当時の勤務先(製薬企業)の共同研究先ではなかったのだが、准教授からは別途共同研究締結の要請(つまりは研究費の要請)があった。勤務先からA大学への入学許可を受けたとは言え、社会人博士課程の入学金や授業料は個人負担であった。製薬企業での当時の上司に、私が個人負担で大学に入学金と授業料を払っているのに勤務先からも共同研究という形で研究費が必要だということを伝えると「えっ、お金とるの?」と唖然とされた。しかし、当時の上司は、私の学位取得の支援ができるならと勤務先とA大学との共同研究を締結してくれた。共同研究の内容は、准教授がメタボローム解析のアイデアを出し私が具現化するというものだったが、数年間に及ぶ共同研究で准教授が具体的なアイデアを出すことは皆無であった。この共同研究について准教授は、「あなたが勝手に研究して報告書を書いてくれるのでなんの問題もない」と笑っていた。

6) また、准教授からは、私の研究テーマで使っている解析(RFを用いたメタボローム解析)を同講座外のデータ(例えば当時の私の勤務先で得られたデータ)で実施して論文報告しないようにも指示された。それを行うと同講座で論文が出せなくなるから、というのが理由だった。使うデータが異なれば二重投稿にはあたらないとも思われたが、当時の私にはその指示に従うことしかできなかった。ところが、大学院入学から5年が経ったころ、別の大学院生の論文に私の手法を使うと准教授が言ってきた。「以前のお話と違うではないですか!」と伝えると、身に覚えがあったからか、その大学院生の論文から当該箇所は削除された。なお、その論文は筆頭著者の大学院生ではなく准教授が作成していた。褒められたことではないが、大学によっては研究室のスタッフ(教授などの指導教官)が大学院生を筆頭著者にして論文を作成(論文代筆)し学位を与えることがある。この大学院生の場合もそのパターンであった。しかし、私の場合は、准教授が論文代筆をするどころか、私が自分で論文原稿を用意したにも関わらず、論文の投稿すらも許可されなかった。この差はどこにあったのだろうか?

上記内容は、あくまで私の視点からのものである。もしかすると、准教授(およびA大学)は、今回の件では逆に被害者としての意識を持っている可能性がある。准教授からすれば、私の受け入れは故TS教授が勝手に決めたことであり、それにも関わらず誠心誠意指導したのだから文句を言うのはお門違いと思っているかもしれない。

確かに准教授には全くお世話にならなかったと言えば嘘になるし、このような場で不満を表明するのは申し訳ないという気持ちもある。しかし、私がA大学で件の准教授から受けた仕打ちは、大学として本来あるべき姿とはあまりに乖離があり、また、准教授の専門性の低さにも大きな問題があったと言わざるを得ない。博士課程での学問という専門性を考慮すれば、教員が学生の専門性を理解できない事や解釈を間違える事が時に生じることも避けられないのかもしれないが、だからこそ、教員の専門性が足りない場合は、論文原稿を速やかに専門の雑誌に投稿させて査読者に合理性の判断を仰ぎ、リバイスを経験させることも大学院での指導に求められることだと言えるのではないだろうか。その意味でも、件の准教授は指導教員としてすべきことをしてこなかったのではないかと私は考える。

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コンプライアンスに関する質問をA大学に送った後、一年の調査期間を経て、コンプライアンス担当理事、研究科長、他一名との報告会が開催された。大学側は、指導教員(准教授)の指導に問題がなかったとは言えないと口頭では認めたが、それ以外の言及はなく、私に対しての就学上の問題点はなかったという結論を伝えてきた。学校側の対応には不誠実さを感じたが、それについては後述するとして、コンプライアンス提訴後に私に起きた出来事について少しお伝えする。

同学へのコンプライアンス提訴直後、経済悪化のあおりで私は勤務先からの転籍を余儀なくされた。この転職活動では学位がないのが大きく響いた。学位無しで応募できるポジションは皆無に等しいという厳しい現実を知った。

転職活動を始めてから半年が経ったころ、幸いにも私は某大学医学部の研究支援者のポジションを得ることができた。そこの教授からは、研究支援者というポジションではあるものの、単なる“研究支援”に留まらず、これまでの経験を活かして研究も進めてくれと言われた。そこでは、機械学習で大学院生や研究生の実質的な指導も経験させてもらえたし、論文を投稿し受理もされた。また、科研費の奨励研究にも採択されたし、某国際論文誌の編集委員にも抜擢して頂けたことから、私の研究が一般には到底受け入れられないというA大学の指導教員(准教授)が言うことは事実ではなかったということを確認できて自信も取り戻せた。

着任した某大学医学部で充実した毎日を過ごすことで、某大学医学部とA大学某研究科の間には、大学院生の指導や研究の進め方に大きな違いがあるということを何度も思い知らされた。某大学医学部は研究大学に指定されたということもあってか、データサイエンスを軽視しないし、解析データをデータサイエンティストに丸投げもしない。また、大学院生に研究以外の雑用を押し付けることもない。仮に、教員が一時的にはデータ解析を他者に頼ることがあったとしても、その後に教員自身が再実行し結果の再評価を行っている。教員のレベルは皆高く、世界のトップレベルを意識した研究を志向しており、もし研究の専門性で教員の手に負えないと判断された場合は、速やかに同学もしくは他大学の別の教員の支援を求めることになっている。大学院の教育のレベルは、大学および教員によってここまで差がでるのかと何度も驚き、A大学への入学を決めた自分の浅はかさを恨むばかりであった。

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某大学医学部に移ってからお会いしたアカデミア研究者の多くは、A大学での私の扱いに対し、「貴方の受けた行為はアカハラだよ」と口を揃えた。ある統計の先生は、A大学にきちんと責任とらせるべきだとし、もし大学が応じないのであれば、所属自治体に訴求するという手段もあるのではとコメントしてくださった。

私の受けた扱いはアカハラだったのだろうか?

件の准教授(A大学での私の指導教員)の一連の言動は、准教授の研究レベルが単に低すぎたことに起因すると言えなくもない。しかし、A大学在学中の6年間、決して安くはない学費と研究アイデアおよび貴重な時間を私から毟り取り、本来教員が行うべき大学生の指導を放棄したという点を考慮すると、A大学および准教授は私にアカハラをしたと言えるのではないかと思う。

ただ、先に述べたように、私への扱いに関する問題をA大学に問いただした際は、アカハラではなく、“コンプライアンスの問題”として訴求した。当時の勤務先との共同研究で指導教員が何もしなかった点は、アカハラ問題というよりかは、むしろコンプライアンス違反であると感じたからだ。また、准教授や大学の立場を考えると、アカハラとして問題提起して事を大きくするのは避けた方が良いとの考えを当時は抱いていた。しかし、結果として、私の訴求に対してA大学は不誠実な態度でしか応答しなかった。

実は、A大学を公式にコンプライアンス違反として訴求する数ヶ月前に、私は事の経緯を大学側に連絡していた。そのときは、A大学に何らかの“自浄作用”があり、大学および指導教員が私に不当な扱いをしているという疑いについて、大学側が自発的に調査を始めるのではないかという期待もあった。しかし、そのようなことは起きず、結果として私は表立って大学を訴求することになった。

私の訴求に対して大学側は一年間の調査期間を要した。訴求前に私が相談したA大学のコンプライアンス担当准教授によれば、調査が一年近くかかる案件は、それなりに重大な懸案事項であるとみなされるらしい。ということは、私の訴求内容はA大学にとって重大な懸案事項であるとも言えるのだが、私が内々に相談した際には何の対応もしてこなかったのだ(揉み消したのか?)。

また、“自浄作用”を期待して内々に相談した時点から正式にコンプライアンス違反の訴求をする間には、もう一つ強調しておきたいA大学側の不可解な対応があった。それは、滞納している学費の請求が実家の母に送られてきた際のA大学とのやり取りに関してである。学費を滞納している学生に、大学が学務を通じて学費を請求するのは、大学側としてはある意味で正当なビジネス行為であるかもしれない。しかし私の場合は、すでに学務に私の扱いに種々の問題がある旨を伝えてあり、大学側は学費の滞納理由を把握していたのだ。それにも関わらず、成人して20年以上も経っている人間の実の母親に敢えて学費の請求をするという行為は、ビジネス云々の前に人としてどうなのかという気持ちすらある。しかも、その後にA大学学務担当教授に滞納理由を伝えたところ、件の准教授が在籍している講座のK教授(故TS教授の後任)から電話がかかってきて、「本研究科の学位は貴方にとって何の意味もありません。」と伝えられたのだ。正直なところ、K教授の発言の真意はわからない。だが、6年間もの時間をかけて取得しようとしていた私の学位(結局は取れなかったが)を、「私にとって何の意味もないもの」と切って捨てるのは、これこそアカハラと言われても仕方のない言動ではないだろうか。

当時のA大学への私からの質問はあくまで“コンプライアンス”に関するものであり、正式な補償を求めるものではなかった。しかし、件の准教授(もしくはA大学)が、学費を払った学生にしかるべく指導を実施していなかったのであれば、それは同大学の不法行為とも言えるため、もしそうであれば、私の訴求内容がコンプライアンスに関する疑問に対する回答を求めたものであっても、何らかの補償が大学側からなされるべきと考えていた。A大学は一貫して不誠実な対応を示していたが、そのような私の考えに呼応するためか、コンプライアンス担当理事からは、工学研究科での指導とそこでの論文博士審査の提案がなされた。

この点においてだけは、大学としてできうる限りの応対をしてもらえたと私も評価した。しかし、データサイエンスとしての手法は共通していても、バイオインフォマティクスの場合は結果に合理性があることが評価され、工学研究科の場合は手法そのものの考案が評価される。工学研究科での研究は、一からとは言わないまでも、基礎からの勉強が私には必要になってくる。しかも、このとき私は既に50代半ばであり、前述したように仕事上でも大きな転換を求められていたため、新しいことに挑戦するだけの時間を確保することは難しかった。結局、A大学の工学研究科での学位取得は実現可能性が低いものと判断し、その提案には乗ることはなかった。余談だが、私がA大学に在籍中、工学部で機械学習の講座を受講できるチャンスがあったのだが、それを受講したい旨を指導教員(件の准教授)に申し出たところ、「面倒なのでやめてほしい」と言われたことがある。今から思うと、A大学の工学部とはつくづく縁がなかったようである。

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A大学での6年間および訴求後のA大学とのやり取りは、私の心に暗い影を落としてしまった。先の統計の先生の提案に従い、自治体の教育相談窓口に公開質問状を提出しようかと考えたこともあった。しかし、その場合はA大学の大学名を明らかにしなくてはいけなく、本件とは関わりのない多くの同大学関係者に不快な思いをさせることになると思うと踏み止まざるを得なかった。

実はこの冬、前回の訴求内容に対する大学からの回答への再質問および私に対してアカハラがあったのではないかと思われる事項についての説明を求めるため、大学側の担当者に電話したのちにA大学に対して改めて書面での問い合わせを行った。担当者からは調査の後で回答をしますと連絡があったが、本原稿執筆時点ではなんの進展もない。私がA大学に在籍していたのは10年前なので調査は容易ではないことは重々承知しているが、それでも種々の記録は残っているため、私への対応に問題があったかどうかを客観的に調べることは不可能ではないはずである。

来年度、A大学は大学統合により新しい大学として生まれ変わることになっている。私の質問は新大学開学のどさくさで有耶無耶にされるのではとも感じているが、もしA大学のこれまでの体質がそのまま新大学に引き継がれるのであれば、これから新大学で学ぶことになる若い人たちの成長が妨げられるかもしれないとの不安はある。

A大学は総合大学であり、秀でた業績を上げている多くの研究科があることが知られている。しかし、その陰で最高学府として恥ずべき行為が起きたことは大変残念である。今回私の身に降りかかったことは、大学という大きな組織からみると些細な問題なのかもしれない。しかし、小さいことだからと言って適当に誤魔化すことなどせずに、教育機関として正しい対応をとり、過去の問題を払拭してから新大学としてスタートして欲しいと切に願っている。

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今回の問題は、入学を進めてくれた担当教授が近々退官することを知りながらも、入学後の指導内容について深く考えずにA大学への入学を決めた私の浅はかさが招いた悲劇である。

A大学での6年間を振り返ってみると、問題を解決する救いの手はいくつも差し伸べられていたことに気がつく。しかし、当時の私は、いずれの助け舟にも乗ることはなかった。ある研究者が私の状況を心配し、D大学の教授を紹介するからそこで学位をとればいいのではないかとの申し出があったときも、道義上A大学に対して失礼かと思い断ってしまった。A大学がその後に私に対していかに不誠実な対応をするかということを、当時の私に伝える術があればいいのにと思うことがあるが、まさに後悔先に立たずである。

また、製薬企業からアカデミアに転身した後にも、ありがたいことに学位取得のための大学院入学勧誘のオファーをいくつも頂いた。いずれも魅力的ではあったが、残念ながら、さらなる学費を工面する財力は私にはもうなかった。

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私は還暦を過ぎている。そんな年齢の私が、学位もないのに今も研究ができているということには日々感謝の気持ちでいっぱいである。そのため、いまさら学位が取れたところで何も変わりはしないなとも思うのだが、その反面、棺桶には博士号の学位を持って入りたいなという気持ちが全くないとは言えないのが難しいところでもある。


執筆者:還暦データサイエンティスト


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